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「こんな選手はもう出てきちゃダメ」バレーボール・清水邦広が乗り越えた7度の手術と3度の五輪「福澤の分まで、思いを乗っけて…」《引退記念インタビュー》

2026/07/30
日本バレーを牽引し、支え続けてきた男がコートを去る。39歳まで貫いた現役生活は、相次ぐ怪我との闘いだった。激痛に耐えながらも、大舞台を目指して跳び続けた日々。唯一無二のオポジットが、駆け抜けたバレー人生を振り返る。(原題:[引退インタビュー]清水邦広「18年間の傷と清々しさと」)

「僕、何回手術しましたっけ?(笑)」

 引退を報告したあと、清水邦広は主治医の荒木大輔に聞いた。荒木が指折り数えると、7回だった。荒木は感慨深げに言う。

「ついにこの日が来たか、と。長い間、本当にお疲れ様という気持ちですね」

 清水を知る誰もが、同じ思いだろう。

 日本代表や大阪ブルテオン(パナソニックパンサーズ)で長年活躍した39歳のオポジットは、2025-'26シーズン限りで18年間の現役生活に幕を下ろした。

 選手生活で一番思い起こすことは、と清水に聞くと、「怪我ですね。バレー選手の中で一番怪我をしたと思うので」と苦笑した。

 膝や足首、足の指、手など挙げればキリがない。そうした怪我と闘いながら、五輪を目指し続けたバレーボール人生だった。

SVリーグ初優勝で現役最後のシーズンを締めくくった Itaru Chiba
SVリーグ初優勝で現役最後のシーズンを締めくくった Itaru Chiba

 小学4年でバレーを始めた清水は、世代を代表するサウスポーとして徐々に頭角を現し、2007年に大学3年で日本代表にデビューした。当時の男子日本代表は五輪から長らく遠ざかっており、翌年の北京五輪で4大会ぶりの出場を果たすべく、植田辰哉監督のもと血の滲むような過酷な合宿を重ねていた。五輪の重みを清水が痛感したのは、'08年の北京五輪世界最終予選だった。

 今も脳裏に強烈に焼き付いているのは、逆転負けした初戦・イタリア戦後の光景だ。

「ツマさんが、歩けなくなっていて……」

 正確無比なサーブレシーブでチームを支えたリベロの津曲勝利は、いつもそつなく役割をこなし、練習や試合が終わると涼しい顔で誰よりも早く帰っていく、職人のような選手だった。

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photograph by Naohiro Kurashina

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