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《関田誠大、山本智大、西田有志が証言》パリ五輪イタリア戦「あと1点」の裏にある真実とは?【エース石川祐希を「孤独にしちゃいけない」】

2024/10/11
(左から)関田、山本、西田
歴代最強と呼ばれた日本代表。初戦のドイツ戦に続き、準々決勝イタリア戦でもマッチポイントを逃して敗れ去った。絶対的なエースとともに戦った代表戦士たちは、何を感じていたのか。敗戦の裏にある真実に迫った。(原題:[パリ五輪ドキュメント]「交錯」エースに託した1点 関田誠大/山本智大/西田有志)

 これ、行けるぞ。

 冷静沈着な関田誠大も思わず感情が昂った。

 イタリアから2セットを連取し、第3セットも22-21。日本が1点を抜け出した。前衛にいた関田はワンポイント投入の宮浦健人に代わってベンチへ。石川祐希の連続得点で24-21とマッチポイントを握ったところでコートに右膝をついた。勝利したら真っ先に駆け出すためだった。

 だが次の瞬間、我に返った。

「ちょっと待てよ、と思って。そもそも相手はあのイタリアで、こんなに簡単に勝てるはずがない。このままブレイクが取れるわけがないから次のプレーが終わったら出る準備をしておこう、と思い返しました」

取りに行かずにサービスエースを取られたことが一番悔しい。

 関田の予想は的中する。イタリアに1点を返され、続く得点も石川とリベロの山本智大の間に放たれたシモーネ・ジャンネッリのサーブで崩された。石川のスパイクがアウトになり24-23。日本はワンタッチの有無を確認するチャレンジを要求。その間、コートで石川と山本は直前のジャンネッリのサーブを振り返って、次はどう対応するかを短い時間で確認し合った。

関田誠大 Masahiro Sekita 1993年11月20日生、東京都出身。東洋高時代に春高バレーで優勝。中央大では'15年全日本大学選手権を制してMVP受賞。'16年に日本代表初出場。ベスト8入りした東京五輪後にポーランドのクプルム・ルビンでプレー。'22年6月ジェイテクト加入。175cm、71kg Nanae Suzuki
関田誠大 Masahiro Sekita 1993年11月20日生、東京都出身。東洋高時代に春高バレーで優勝。中央大では'15年全日本大学選手権を制してMVP受賞。'16年に日本代表初出場。ベスト8入りした東京五輪後にポーランドのクプルム・ルビンでプレー。'22年6月ジェイテクト加入。175cm、71kg Nanae Suzuki

「今のどうだった?」

 山本の問いに石川が即答した。

「俺行けるわ」

 続く2本目も2人の間、山本は取りに行こうと動いたが、同じ瞬間に石川の膝が半歩前に出たのが見えた。直前のやり取りも頭をよぎり、邪魔しないように身体を引いたが、石川の意識は次の攻撃に向いていたためボールは2人の間に落ちた。

 24-24。

 土壇場でイタリアに追いつかれた。

 リベロとして、山本はその判断を悔やむ。

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photograph by Getty Images / Kaoru Watanabe(JMPA)/ Asami Enomoto(JMPA)

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