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「今回に限っては、能登を背負わなきゃ」日本航空高校石川・中村監督が語った“人生レール論”と球児の笑み《被災地からセンバツへ》

2024/03/10
系列校である日本航空山梨の縁で山梨県練習をするナイン
吉報を前に、年明け早々彼らの地元は大きく揺れた。家族の無事を心配する者もいる中、選手たちには歩みを止めている時間はない。少しでも長く甲子園にいるために――。

 人生レール論。日本航空高校石川の野球部監督、中村隆は自らの哲学をそう呼ぶ。

「20歳の頃から、自分の人生に起きたことは全部肯定しようと思って生きてきたんです。人生のレールはもともと敷かれているものだ、と。後悔にとらわれるといつまでもクヨクヨして動けなくなってしまう。でも、もともとこういうものだったんだと思えばすぐに動けるじゃないですか」

 2024年1月1日、午後4時10分頃。日本航空のある輪島市は、震度7の大地震に見舞われた。校舎は倒壊こそ免れたものの、ほとんどのガラスが割れ、基礎部分の一部損壊も見つかった。

 日本航空の部員67人のうち、県内出身者は11名だ。年末年始はオフで帰省中だったため、ほとんどの部員が地震を免れた。地震直後、中村らスタッフはまずは手分けして部員に連絡を入れ、2日の夜には全員の無事を確認することができたという。

がんばったらがんばったなりのレールが敷かれる。

 日本航空は1月26日に控えた選抜高校野球大会の選考委員会において、出場校に選出される可能性がきわめて高かった。正月明けからは、選抜モードに切り替えるつもりでいた。だが、どう考えても、すぐに野球ができる状況とは思えなかった。中村は本音をこぼす。

Manami Takahashi
Manami Takahashi

「正直なところ、自分の運命を恨みかけましたけどね。何かあるときしか甲子園に行けないのかな、って」

 思えば、'20年春、日本航空石川は、選抜高校野球大会への出場権を獲得していたものの、開幕直前、新型コロナの大流行により、大会が史上初めて中止に追い込まれた。戦時中の中断はあったが、開催予定の大会が流れたのは初めてのことだった。

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photograph by Manami Takahashi
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