「あれから20年」
そう切り出すと、3人それぞれに何とも言えない含みのある表情を見せた。
1999年4月。のちに「黄金世代」と呼ばれる彼らは、ナイジェリアの地で世界を驚かす快進撃を演じて見せた。舞台は20歳以下の世界一を決するU─20W杯。手にした準優勝の栄冠と記憶は、20年の歳月が流れても決して色褪せない。
小野伸二はその技術が世界でもトップレベルにあることを証明した。本山雅志は緩急自在のドリブル突破で現地のファンを魅了した。高原直泰は飛び抜けた嗅覚とセンスで世界を相手にゴールを量産した。
その陰で、彼ら3人もまたチームの勝利に貢献した。
酒井友之は誰よりも走った。
永井雄一郎は我を押し殺してチームプレーに徹した。
中田浩二はポジションへのこだわりを捨て、最終ラインの一角を全うした。
3人にとってあの大会は、キャリアにおける重要なターニングポイントだった。
酒井が年代別代表に初めて招集されたのは15歳の時だった。その衝撃が蘇る。
「伸二は別格。ボールタッチ、コントロール、視野、ワンタッチ、精度、意外性、もう全部。うますぎてビビりました。こんなにすごいヤツがいるのかと」
高校生Jリーガーとして脚光を浴びた酒井をもってしても、このチームで本職のボランチを務めることはできなかった。遠藤保仁や稲本潤一、小笠原満男らとの定位置争いに挑む機会すらなく、指揮官トルシエに右サイドの適性を見いだされた。
「認めてもらえたのは運動量と正確性、それから必死さ(笑)。3─5─2の右サイドといっても守備時は最終ラインに入って4バックになるし、攻撃時は敵陣のゴールラインまで攻め上がる。だから、運動量なら間違いなく一番。誰よりも走りました。あのチームで僕が発揮できる個性なんて、それくらいしかなかったですから」
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