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藤井聡太を最も追い詰めた男、村田顕弘37歳。秘技“村田システム”の「人間らしさ」とは?「200%では届かなかったので、300%、400%で」

2023/11/26
八冠制覇までの道程で藤井を最も追いつめたのは、タイトル獲得経験も挑戦経験もない男だった。大好きな酒を断ち、独自の戦術を磨き上げ、万全の準備で臨んだ彼が証明したかったものとは。

 プロ入りから15年が過ぎ、通算勝率は5割6分程度。順位戦では下から2つ目のC級1組に在籍し、目立った実績もない。そんな村田顕弘の目の前で、藤井聡太が苦悶の表情を浮かべていた。

 6月20日、王座戦挑戦者決定トーナメント(以下、本戦)の準々決勝。それまで村田の今年度成績は1勝4敗で、藤井との過去の対戦成績も0勝3敗。棋界関係者の目には、この対局は藤井の八冠ロードの通過点に過ぎないと映っていた。ところが――。

 村田はかつて「関西若手四天王」と呼ばれる期待の星のひとりだった。名を連ねるのは20歳でタイトルに挑戦した豊島将之、プロ入り直後に新人王戦で優勝した糸谷哲郎、初参加で棋聖戦の挑戦者決定戦まで勝ち進んだ稲葉陽。勝率も7割近い彼らに比べて、6割そこそこの村田はやや見劣りした。その後、3人が実績を挙げてトッププロに近づくにつれ、「4人目は誰?」と言われるようになり、「関西若手四天王」という言葉もいつしか聞かれなくなっていった。

Naohiro Kurashina
Naohiro Kurashina

「初めはふがいない、情けない気持ちはありました。でも彼らと同じほどの努力はしておらず、自信もありませんでした。彼らはもっと上を目指していたと思うんです。当時タイトルを持っていた羽生(善治)さんや渡辺(明)さんを倒そうとしていました。彼らと自分を比べるのではなくて、まずは同じところを目指さないといけなかった」

 好きな将棋で食べていくためにプロを志した村田は、勝ちにこだわる性分ではない。普通なら「将来はタイトルを取る」と夢見る少年時代、村田は年齢制限(26歳)までに棋士になることを目標としていた。

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photograph by Naohiro Kurashina

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