2020年1月2日午前9時3分2秒、東京国際大学の伊藤達彦は鶴見中継所で13番目にたすきを受け、23・1kmを走り出した。
そして、伊藤から遅れること13秒、東洋大学の相澤晃が鉄紺のたすきをかけて伊藤を追いかけ始めた。箱根駅伝史上に残る名勝負が始まったのは、この時だった。
相澤が追いつき、ふたりの並走が続く。途中、相澤が前に出て、伊藤が苦しそうな表情を浮かべるが、そのたびに粘って離れない。ふたりのデッドヒートは戸塚中継所の近くまで続いたが、相澤が先んじてたすきを渡した。このマッチレースを相澤は次のように思い出す。
「伊藤君とは、’19年にユニバーシアードのハーフマラソン日本代表で一緒になりイタリアに遠征して、それから仲良くなっていたんです。箱根駅伝では、あのような形で並走することになり、伊藤君と一緒に走ることで一定のペースを刻めたというのは大きかったです。正直なところ、伊藤君は脚の回転が速いタイプなので、彼のうしろはとても走りやすくて(笑)。中盤以降は僕がキツいところは伊藤君が前に出て、彼がしんどいところでは僕が引っ張る形になりましたが、彼がキツそうな表情を浮かべたときほど、余裕の顔をして走ろうというのはすごく意識していました。そうやって、ふたりで競り合った相乗効果が区間記録に表れたんだと思います」
「相澤君が追いついてくるだろうと予想していました」(伊藤)
ふたりの人生は本来、交錯するはずがなかった。伊藤は浜松商高時代、高校を卒業したら陸上競技は辞めるつもりでいた。東国大から勧誘された時も、「どうでもいいや」と思っていた。しかし大志田秀次監督の熱心な気持ちを受け止めると、「せっかく大学で4年間走れるのなら、上を目指したい」と心境に変化が表れた。ユニバーシアード日本代表に選ばれるまでは他大学に友人と呼べるような選手はいなかったが、相澤、そして中村大聖(駒大→ヤクルト)とチームメイトとなったことで、世界が開けた。関東で出来た仲間。その相澤と2区でほぼ同時スタートになったのも、なにかの縁だったのかもしれない。
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