二刀流・大谷翔平の力を最大限に発揮させた名将は、高校球児としてどんな3年間を過ごしていたのか。当時のチームメイトが、約40年前の逸話を明かした。
WBC日本代表を世界一に導いた栗山英樹監督の高校時代は、意外と語られていない。「創価高校の栗山英樹選手」は、いったいどんな球児だったのか。
創価は今でこそ甲子園に春夏通算で8度出場し、田中正義(現日本ハム)らプロ野球選手も輩出しているが、当時は甲子園出場経験もなく、各学年10人前後で、中学時代にレギュラーだった選手も少ないという戦力事情。栗山の入学と同時に就任した稲垣人司監督の下、強豪への道を歩み始めた時期だった。
星出正信は、栗山の1年後輩の二塁手だ。エースだった栗山のバックを守り、内野手として攻守に活躍した。3年時には栗山からキャプテンを引き継いでいる。創価大でも野球を続け、岸雅司監督が就任したチームの初代主将も務めたあと、金融マンとして長く勤務し、今は印刷会社の役員だ。
「僕が高校に入学した頃から、栗山さんは投手としても打者としてもチームの大黒柱でした。足が速くて、投手としても一級品で、外野守備も上手くて、打撃もシュア。何でもできて、すべてにそつがない。できないことがあるとすれば……ホームランを打つタイプではなかったかな」
栗山はそれだけの能力を備えていながら、とにかくよく練習する人だった。
「昼休憩もそこそこに、栗山さんが真っ先にグラウンドに出ていく。ほかの部員はもっと休みたいのに(笑)。外野のフェンス沿いを、黙々とシャドウピッチングしながら何往復も歩いていましたね」
稲垣監督の指導は非常に厳しかったが、その一方で、選手間の結束は強く、先輩たちも栗山を筆頭に優しい人ばかりだったという。
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photograph by Nanae Suzuki