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[貫いた流儀]栗山英樹「信じて、信じて、信じ抜いて」

2023/03/30
2021年12月に就任し、選手選考から本大会決勝のゲームセットにいたるまで、監督心得のセオリーから外れた、唯一無二とも言える指針が揺らぐことはなかった。指揮官の絶対的な“信”に選手たちが応えた結晶が、3度目の世界一戴冠であった。

 マイアミの夜空に10度、舞った。

 背番号89の栗山英樹監督を押し上げたのは、監督自らが東奔西走して集めてきた30人の頼もしき戦士たちだ。

「選手たちが本当に嬉しそうな顔をしていた。それが嬉しかった」

 優勝インタビューでこう語ったように、栗山監督の野球は常に選手が主役であり、WBCでも選手が試合を動かしてきた。

 世界一までの7試合で、指揮官が作戦面で采配を振るったのは送りバントのサインが1回、そしてエンドランのサインがおそらく2回ほどだったと思う。

 ほとんど動いてはいない。

 栗山監督が何をしたかというと、どこでどう信頼して人を使うかだった。

 先発メンバーを決め、打順を決め、投手陣の継投をメインに、あとは試合終盤の代打や代走、守備固めでの選手交代を決断してきた。選手を作戦で動かす采配はほとんどない。周囲をあっと驚かせるような奇策を弄した場面もなかった。

 ただ人の使い方は独特である。これほど選手を信頼して、勝負を委ねられる監督は他にいないかもしれない。その信頼こそが侍ジャパンを世界一へと導く土台にあった。

 選手を信用しても信頼はしない。

 これはほとんどの監督が選手に持つ心得と言ってもいい。この監督心得をよく語っていたのは、栗山監督の恩師でもある元ヤクルト監督の野村克也さんだった。日本ハム時代、特に2021年シーズンを最後に退任する直前の栗山監督も、これに近い選手観を持つ監督だったかもしれない。

 しかしWBCではとことん選手を信頼して、その信を元に選手を起用した。

 背景にあるのは自らが作り上げたチームへの自信だった。

「必要ですか? 翔平」

 '21年12月2日の監督就任会見。ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平投手の招集について聞かれて、栗山監督は逆にこう問いかけた。世界に勝つために必要か、必要でないか。選手選びの基準はそこだけだという逆説的な問いかけだった。そして「必要な選手がいれば誰がどこにいても交渉に行きます」と自らの手でチーム作りをする決意を語った。言葉通りに最強チームを作り上げるため、大谷はもちろん日米の候補選手の元を訪れ、直接話をして日本代表への参加意欲と可能性を聞いた。

 その熱意に選手が応えた。

 '22年11月、栗山監督のスマホに直接、大谷が電話をしてきて「監督、WBCに出ます」と出場の意思を示した。大谷の参加表明をきっかけに、サンディエゴ・パドレスのダルビッシュ有投手やボストン・レッドソックスの吉田正尚外野手、シカゴ・カブスの鈴木誠也外野手(後に左脇腹痛で辞退)らのメジャー組が次々と出場意思を示してくれた。そしてその中にいたのが、野球の日本代表としては初めてとなる米国籍の日系二世選手、セントルイス・カージナルスのラーズ・ヌートバー外野手だった。

ケガで出場が叶わなかった鈴木誠也と栗林良吏。彼らのユニフォームは大会中はベンチに飾られ、最後の集合写真にも納まった Yukihito Taguchi
ケガで出場が叶わなかった鈴木誠也と栗林良吏。彼らのユニフォームは大会中はベンチに飾られ、最後の集合写真にも納まった Yukihito Taguchi

「アメリカでやっている選手を(日本代表に)いきなり入れるのはいいのか」と監督自身も悩んだという。代表入りを発表した直後には批判もあった。ただオンラインで複数回面談して、その明るさと前向きな姿勢、また出塁率の高さやスピードなど裏付けとなる客観的なデータも踏まえた上で、絶対に戦力になると確信を持っていた。

「あの思いきりの良さと全力プレーは切り込み隊長にぴったりだと思っていた」

 大会開幕直前の3月2日の来日だったが、思った通りに明るい性格ですぐチームにも溶け込み、開幕の中国戦では「1番センター」でいきなり先発出場。すると1回の第1打席で名刺がわりの中前安打。さらに3回には中前の当たりをスライディングして捕球するファインプレーでチームに勢いをつけた。そのハッスルプレーと“ペッパーミル・パフォーマンス”は、チームが一つにまとまるアイコンにもなっていった。

 一方、栗山監督の「信頼」のもう一つの象徴となったのは村上宗隆内野手である。

 今大会の村上の毀誉褒貶は激しかった。

 2月の宮崎キャンプから打撃の状態が上がらず、強化試合6戦の打率は1割4分3厘。最後のオリックス戦では4番を外れ、6番でようやく初ホーマーを放った。勝つためには本番でも「6番」という選択肢はあったはずだが、指揮官は「やっぱりこのチームの、日本の4番はムネ」と村上の起用にこだわった。ところが1次ラウンドでは全くいいところを出せず、イタリアとの準々決勝で栗山監督が動く。好調な吉田を4番に据えて、村上は1つ下げて5番で起用した。そこから村上の復活劇が始まるのである。

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photograph by Yukihito Taguchi
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