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【インタビュー】「オカダに対する恨みや嫉妬は…」新日本社長・棚橋弘至が見据える“プロレスの未来”とウルフアロンの伸びしろ「…なので、あとは運ですね」
まさに壮観だった。
日本プロレス界における、ここ四半世紀最大のスーパースター、棚橋弘至の引退試合が組まれた新日本プロレスの1.4東京ドーム大会。チケットは前売りで完売し、札止めに。広いドームのすべての客席が、4万6913人の大観衆で埋め尽くされた。
この光景を長年、誰よりも待ち望み、実現のために広報活動含めさまざまな努力を続けてきた男こそ、当の棚橋だった。
「自分がトップに立ってから20年近く、『いつか絶対に東京ドームを満員にします!』って言い続けてきましたからね。本当はもっと早く実現できれば良かったのかもしれませんけれど、自分の最後の試合で目標達成できたことは素直にうれしかった。引退試合のリングに向かう花道で、目の前がすべて人で埋まった光景を見た時は『ずっとここにいたい』と思ったほどです」
新日本の東京ドーム大会が「札止め」となるのは、1998年4月4日のアントニオ猪木引退興行以来、じつに28年ぶりのことだ。棚橋はその時、ファンとして観客席にいた。
「あの時、初めてアリーナ花道沿い3万円の席を買ったんですよ。それまでは一番安い3000円、5000円の席で観に来てたんですけど、仲のいい友達と『猪木さんの引退試合だけは近くで見ようぜ!』って」

客を呼べるスター選手が次々と離脱
この1年後、棚橋は立命館大学を卒業し、新日本プロレスに入門する。
当時の新日本は、まだ闘魂三銃士(武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也)が全員揃い、年に複数回ドーム興行を行なっていた'90年代黄金期。しかし一方では、'99年1月4日の東京ドームで橋本が小川直也の“暴走”によって潰された通称「1.4事変」が起こり、新日本自体が総合格闘技人気の波に飲み込まれて迷走していく“低迷期”の始まりでもあった。
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