#1137
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「よくあんなスケート漬けで…」「19歳のすべてをあのプログラムに」浅田真央が振り返る2010年の銀メダル…3本のトリプルアクセルは“永遠に色褪せない金字塔”

唯一無二の“自分の強み”を習得した中1の夏。そこから、運命的なライバルとの出会い、待ち望んだ初めての五輪、そして、涙の銀メダルまでの軌跡を、今ここに振り返る。(原題:[磨き抜いたトリプルアクセル]浅田真央「永遠に色褪せない金字塔」)

 日本のフィギュアスケートブームの火付け役となった天真爛漫な少女は、大きな期待を一身に背負う19歳のエースとなっていた。2010年バンクーバー五輪、浅田真央はトリプルアクセルを武器に挑む。あのころ、日本国民の誰もが「真央ちゃんがトリプルアクセルを成功させれば、金メダル」と信じて疑わなかった。

 浅田は、自身のスケート人生を「負けから始まった」と言う。

「姉の舞と一緒にスケートを始めて、子供の頃はずっと姉がライバル。2歳しか違わないので、人生最初の大会も一緒に出て、私が6番くらいで、姉が4番くらい。最初の大会は負けから始まったんです」

 伊藤みどりを育てた山田満知子コーチの指導で実力を伸ばし、話題の姉妹となる。

「舞は綺麗に踊るタイプで、私はジャンプが好き。姉に勝つにはもっとすごいジャンプをやらないと、と思っていました」

 当時、プロスケーターとして活躍する伊藤が同じリンクで練習しており、そのトリプルアクセルの飛翔を見て、憧れた。

「小学5年生から練習し続けて、初めてクリーンに降りたのは、中学1年生の夏の合宿。2年間かかって大技を習得できたので、『やっと自分の強みができた』とあの時は思いました」

 その才能を知らしめたのは、'05年12月のGPファイナルだ。当時の規定では「7月1日時点で14歳」の浅田は、翌年2月のトリノ五輪には出られないが、GPシリーズにはシニアとして出場できた。若さみなぎる勢いでGPファイナルへ進出すると、トリプルアクセルを決め、世界女王イリーナ・スルツカヤ(ロシア)を抑えて世界一のタイトルを手にした。

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photograph by Takuya Sugiyama / JMPA

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