#1137
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「何でもできると思っていた自分が…」羽生結弦が追い求めた“内なる理想”とアイスリンク仙台から受け継がれた物語《佐藤駿、千葉百音がミラノ五輪へ》

平昌大会は怪我を抱えての戴冠。男子選手の連覇は66年ぶりだった
順風満帆なオリンピックなど、一度たりともなかった。19歳で掴んだ栄冠、涙の連覇、そして前人未到の挑戦。仙台に生まれた表現者は、試練のリンクに何を刻んだのか。ミラノ・コルティナへと続く“銀盤の物語”を紐解く。(原題:[絶対王者が築いた時代]羽生結弦「内なる理想を追い求めて」)

 3つのオリンピックを駆け抜けた。羽生結弦が銀盤に描いた軌跡は、まるで長編の物語のようだった。

 始まりは2014年、ソチ大会。

 19歳で初めて大舞台に挑んだ。ショートプログラムは『パリの散歩道』。圧巻の演技で史上初の100点超えとなる101.45点をマークしてトップに立つと、翌日のフリー『ロミオとジュリエット』では序盤のジャンプでミスがあったものの、そのまま崩れることなく立て直す。

 この大会で金メダル最有力と目されていたのは、前シーズンまで世界選手権を3連覇していたパトリック・チャンだった。その絶対王者に4.47点差をつけた羽生は、日本男子初の金メダルを手にする。

 東日本大震災で練習拠点を一時失うなどの困難を乗り越え、掴みとった栄冠。'12年春には仙台から羽ばたき、カナダ・トロントへと拠点を移した。その全てが実を結んだ瞬間だった。

「今はこの幸せに浸りたいと思います」

 セレモニーを終えた羽生は、そんな言葉で頂点に立った喜びを語った。しかし同時に、その目は先へと向けられていた。

「全力を尽くしましたけど、最高のパフォーマンスはできなかった。その点に関しては悔しいと思っています。また4年後もあります。日々精進していきたいです」

 五輪で金メダルを獲得してもなお、自身のスケートに満足せず、さらなる理想を追い求める。それが、羽生結弦という選手の真髄だった。

Shinya Mano / JMPA
Shinya Mano / JMPA

 そして、五輪をめぐる死闘とも言える物語は、ここから幕を開けた。

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photograph by Kaoru Watanabe / JMPA

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