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「あの熱い抱擁を忘れることはない」 ストイコビッチが語ったオシムの「モダン」と「ディティール」

2023/05/04
ストイコビッチは'83年にユーゴスラビア代表デビュー。当時はコーチを務めていたオシムが監督を退く'92年まで、長きにわたってともに戦った
〝オシムのお気に入り〟はサラエボまで駆けつけた。その奥深いフットボール哲学につかり、ユーゴ史上最高の選手にまで成長したピクシー。セルビア代表監督となったいまも活かされる、恩師の指導力と先見性、そして自分との共通点とは。(原題:[教えに息づく哲学]  ドラガン・ストイコビッチ「あの熱い抱擁を忘れることはない」NumberPLUS 2022年6月発売)

 ドラガン・ストイコビッチはイビチャ・オシムの訃報を聞くと、セルビア代表監督として多忙を極めるなか、スケジュールを調整して恩師の葬儀に駆けつけた。ただそこでは、感情が高まりすぎて、読むはずだった弔辞を辞退した。〝ピクシー〟と呼ばれていた現役時代から、オシムと親密な関係にあった人だ。彼の胸に去来していたものは、容易に想像できる。

「こうしてサラエボに来たのは、偉大な人物に別れを告げるためだ」とストイコビッチは気持ちが落ち着いた頃に、現地メディアに話した。

「彼の家族には電話でお悔やみを伝えたが、それだけでは足りないと感じた。きっと私以外の多くの人も、同じ想いでこの街に足を運んだはずだ。冗談好きでチャーミングな彼は、いつも周囲の人々を惹きつけていた。そして、実にインテリジェントだった。彼と過ごした美しい記憶は、これからも私の胸に生き続ける」

 現在57歳のストイコビッチも、「オシムの現役時代はほとんど覚えていない」と言う。しかし直接指導を仰いだ監督としては、鮮やかな思い出が残っている。

「私たちの関係はとても良好なものだった。フレンドリーかつプロフェッショナルなもので、互いに敬意を払っていた。私は当時、ファンやメディアから、"オシムのお気に入り〟と呼ばれていた。もちろん、本人の口からそう言われたことは一度もないし、彼にそんなことを訊こうものなら、否定したに違いない。ひとりの選手に特権を与えたりするような監督ではなかったからだ。私は彼の信頼を得るために、ひたす
らハードワークに励んでいた。

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