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[独占告白]香川真司「13年目の決断と孤独」

2023/04/15
「日本に帰るのは、負けたということなのか――」しかし、彼が欧州で残したものは次世代の道標だ。様々な思いを抱えながら、ふたたびJの舞台でボールを追いかける34歳が胸の内を語り尽くした。

 日本に帰ってきてもうすぐ3カ月になろうとしている。正直なところ、帰国する前は色んな感情があった。寂しさや葛藤。本当にお前はこれでいいのかと問いかける自分もいた。

 欧州での最後の日、ベルギーの自宅から車でフランクフルト空港へと向かった。車窓から、かつて過ごしたドイツの景色を眺めていると色んな思いが湧き起こってきた。

 12年前、ドイツに来たばかりのときのこと。ドルトムントで駆け抜けた日々と手にしたタイトル。マンチェスターでの日々に、スペインでの奮闘。欧州で手にした大切な思い出の数々を乗せ、車は空港へと近づいていった。その時も、まだ本当の意味で覚悟は決まっていなかったように思う。日本に帰るというのは負けたということなのか。そう疑う自分もいた。

 以前は35歳までは欧州でやれたらいいなという気持ちがあった。どんな形であれ、カタールW杯までは欧州でやると決めていた。欧州で長くやることは選手みんなの目標で、長谷部(誠)さんや岡ちゃん(岡崎慎司)、(吉田)麻也のように同年代でまだ頑張っている選手もいるし、彼らの存在は刺激にもなっていた。

 それでも、これが自分の人生だし、自分のタイミングだった。欧州に12年半いたし、複雑な気持ちになるのは仕方がない。サウジアラビアに行ったクリスティアーノ・ロナウドも似たような気持ちだったのかな。欧州というのは僕にとってそれほど思いの詰まった場所だった。日本に戻り、セレッソのユニフォームを着てプレーしている今はもう気持ちはすっきりしているけれど。

岡ちゃんはこの4年間、一番話をした人だった。

 日本帰国が決まり、岡ちゃんと話をした。事前に相談することはなかった。岡ちゃんの答えは分かっていたから。彼自身は絶対欧州に残るだろうし、最終的には自分の答えが大事だったから、決断した後に伝えたら、「そうか」と。

 岡ちゃんはこの4年間、一番話をした人だった。サラゴサ時代は、ウエスカにいた彼とは家も10分の距離で、コロナのロックダウンも一緒に経験した。トレッドミルがある彼の家でトレーニングをした。キャリアも考え方も似ていて、共にプレミアリーグを経験してその後スペイン2部で奮闘した流れも同じだった。

 ふたりともカタールW杯を目指していた。代表に呼ばれない時も、よく代表について語り合った。希望は持っていたけれど、自分はどこかで無理だろうなと思っていた。現実を受け入れていたし、足の痛みもあった。今の状況では代表は難しい。どこか惰性で頑張っていた所もあったように思う。

 去年の11月の代表発表の後、岡ちゃんに面と向かって「おつかれさん」と言ったときの目の感じは忘れられない。彼は本当に諦めてなかった。ああ、この人は本気だったんだなと。サッカー選手としてどう生きていくか。その信念の強さは今まで出会った人の中でも抜けていた。彼は欧州に残り、僕は日本に帰る。盟友と離れることが、一番名残惜しかった。

「JリーグでMVPをとるくらいの目標でやらないとね」。最後に岡ちゃんに言われた。(中村)俊輔さんは31歳でJリーグに復帰して後にMVPをとったけど、欧州から日本に帰った時はどんな気持ちだったんだろうと考えた。MVPはひとつの目標になるかもしれないけど、今はそれよりも、自分らしくプレーしてセレッソで優勝したい。香川真司とはこういうプレーヤーだよと、最後のJの舞台で表現したいと思いながらプレーしている。最後は自分らしく、香川真司らしさを出したい。それでチームをうまく操ることができたら、いつか俊輔さんが成し遂げたことも見えてくるかもしれない。

ドルトムントでは'10-'11、'11-'12シーズンのリーグ連覇のほか、カップ戦を2度制覇 Getty Images
ドルトムントでは'10-'11、'11-'12シーズンのリーグ連覇のほか、カップ戦を2度制覇 Getty Images

 僕がかつて日本でやっていた頃とはサッカーも変わった。実際にJリーグでやってみても、スプリントが強い選手が多い。イニエスタも、キヨ(清武弘嗣)も、そして僕も、この現代サッカーにフィットするかどうかは賭けに近いタイプの選手だと思う。インテンシティやスプリントを重んじる流れとは逆方向にいるし、使いづらいタイプかもしれない。ただ、残念だけど今はそういうサッカーが主流。もはや現代サッカーに「10番」はほとんどいないし、前の選手はスピードとフィジカル能力がないと戦っていけない。スプリントのある選手たちを少し下のポジションで操りながら、技術で違いを見せて、2列目、3列目から絡んでいく――そんなことを考えながらプレーしたい。

サッカーにはサイクルがあって、トレンドがある。それでも

 プレーする喜びや幸せを、ここ2、3年は感じることができなかった。ギリシャのPAOKでもベルギーのシントトロイデンでも、自分が充実していたと感じた試合は1、2試合くらい。ドルトムントやマンUでやっていた魅力的なサッカーを知っているからこそ、余計に面白いと感じることは少なかった。ただ、それがチームのスタイルだったし、自分で変えるのは難しかった。

 サッカーにはサイクルがあって、その時々のトレンドはある。それでも、ベースとなるものは普遍だと思っている。今はサッカーを複雑に考えすぎる傾向があるけど、こういう時代だからこそシンプルなマインドで考えなきゃいけないと思うし、サッカーはシンプルでいい。

 例えば今季のプレミアで首位を走るアルテタのアーセナルもシンプルで、無駄なことを考えていない。今のアーセナルを見ていると、昔のドルトムントに重なるものがある。攻守の切り替えがはやく、パスを繋いで人とボールが動いていく。若くて勢いのある選手たちが青年監督の下でひとつになって上がっていく――そんな感じもよく似ているなと。

 昔のドルトムントも、ボールを失ったら迷わずみんなで奪いにいった。それが楽しくて仕方なかった。あれほど守備のプレスを楽しんだのは後にも先にもあのときだけだった。「誰かボールを失え、プレスしたいから」とボールロストを願ってすらいた。ボールを取られた方が逆にチャンスだったし、前からプレスをかけて3秒後にはマイボールになって、バランスを崩した相手を一気に攻める。あの距離感、切り替えの速さ、共通意識は抜群だった。

'12-'13シーズンに加入したマンUではプレミアでアジア人初のハットトリックも達成 Getty Images
'12-'13シーズンに加入したマンUではプレミアでアジア人初のハットトリックも達成 Getty Images

 満員のシグナル・イドゥナ・パルクの雰囲気はいまも忘れられない。ホームを感じさせてくれたし、あの声援が僕たちの背中を押してくれた。ドルトムントでリーグとカップをとれたことは自分にとっても大きな誇り。リーグ戦で優勝した喜びはもちろんだけど、個人的にはトゥヘル監督の時のカップ戦優勝の喜びの方が強い。あの時の優勝はすごく重くて、嬉しかった。あのシーズン、本当に苦労したからこそ、得た喜びは格別だった。1、2年目はクロップ監督の下、みんな怖いもの知らずで勢いで行った。その後、2年間過ごしたマンUで苦労して、いろんな経験をしてドルトムントに帰った。前半戦は最下位。ファンには「香川はどうなっているんだ」、「あの時の優勝の立役者がどうした」と言われて。そういう苦労をした末の優勝は、格別だった。

経験者として、タフな場所にいるトミや三笘たちの力になりたい。

 アーセナルでプレーするトミ(冨安健洋)もきっと色んな苦労をしているはず。年末に食事をした時、「レベルが高すぎて毎日の練習でヘトヘトになる」と言っていたけど、僕もその気持ちはものすごく分かる。マンU時代は練習が終わっただけで「ああ、終わった……」とヘトヘトになっていたから。午後練習の場合は午前から全く気が抜けない。そういう環境は、なかなか経験できることじゃない。「1日1日が本当に勝負」というトミに、大丈夫だぞ、自分もそうだったし、それが当たり前だからと伝えた。そういう場所で戦っている選手だからこそ、先に経験できた者として力になりたいし、話をすることで少しは楽になると思う。

 やっぱり一番タフな場所でやっているやつがすごいと思うし、そういう選手を応援したい。3日に1度、7万人の前でプレーして、負けたらボロカス言われて、勝ったら絶賛されて……。ブライトンの三笘(薫)もプレミアでこのままがんと行ききったら、それはすごいことだと思う。日本人であれだけ1対1で抜ける選手はこれまでにいなかった。怪我に苦しんでいるけれど、いつかトミがシーズンを通してプレーしてプレミアで優勝できたら嬉しいし、トミが何年かかけて苦労した末に優勝したら、さらに価値があることだと思う。 プレミアという舞台で活躍するのは簡単じゃない。自分はマンUでプレーはしたけど、成功したかといえば自分でも分からない。もちろん、当時のマンUという、あのレベルのチームでプレーできたのは大きな誇りではある。チームは重鎮だらけで、ギグスにスコールズ、ルーニー、ファーディナンドにヴィディッチ。あと、当時のファンペルシーは異次元だった。チームはCLもとっていて、スーパースターだらけ。僕は他にはない生き方をしたかったし、その意味では欧州で歩んだキャリアはひとつ成し遂げられたことではある。でも、三笘みたいにここでどんと飛躍して、誰も成し遂げたことのないようなことを達成する選手が今後でてくるはず。それは楽しみなことだ。僕が欧州に来た頃と比べると日本サッカーの実力は上がっている。あとはどのリーグ、どのクラブでやるのか。3大リーグのビッグクラブでプレーする選手が増えれば、日本は本当に強くなると思う。

Shin Toyofuku
Shin Toyofuku

 21歳でドイツに渡ってからもうすぐ13年、先月で34歳になった。今のところは、長くやりたいとか、何歳までやりたいとかは考えていないし、1年1年が勝負。20代の頃は、自分のためにひたすら上を目指してやってきた。それが少しずつ歳を重ねて、気持ちの変化のようなものもでてきた。いろんなものを乗り越えてきて、何のためにやっていくのかと考えることもあった。

 蘇ってくる記憶と向き合ううちに、車はフランクフルト空港に到着した。ここから欧州各地へ飛んでは、ボールを蹴ってきた。見送りに来てくれた長谷部さんの姿が見える。かつて日本代表で一緒に戦った仲間であり、僕が心からリスペクトしている人だ。ドイツで日本人の価値を高め、39歳になった今もプレーし続ける彼の存在は、僕にとっても大きかった。

 12年半、最後まで欧州にこだわってやりきった。喜びもあれば、苦しんだ時間もあった。欧州で頑張れて良かった、いつかそう言える人生を僕はここから歩んでいかなければならない。戦い続けた日々の中で手にしたものは、きっと今後のサッカー人生でも活きてくると信じている。

香川真司Shinji Kagawa

1989年3月17日、兵庫県生まれ。'06年C大阪入団。'10年ドルトムントへ。'12年マンチェスター・U、'14年ドルトムント復帰。'19年以降4チームを渡り歩き、'23年C大阪復帰。3月12日の第4節鳥栖戦で復帰後初G。175cm、68kg

photograph by J.LEAGUE

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