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「あの3ランは、あそこまで飛ばされたぼくがいけない」大谷翔平と花巻東ナインの証言[高3夏の絆と後悔]

2023/04/06
2014年の大谷翔平。プロ2年目でNPB史上初となる「2桁勝利と2桁本塁打」達成

球宴で日本人最速の162㎞をマークした球界のニューヒーローは、満を持して臨んだ高3の夏、甲子園を懸けた一戦で敗れ去った。東北の怪腕とナインが紡いだ青春の日々と、その後の交流を綴る。(初出:Number858号掲載の[岩手で育まれた絆]大谷翔平「160km右腕と、夏の続きを」)

 その一球を受け止めた瞬間を、捕手の佐々木隆貴はこのように表現している。

 「いつもならホームベースの手前でワンバンするぐらい低めにきたんです。その球が地面すれすれのところから急に伸びてストライクゾーンへ入ってきた。かなりの伸びでした」

 大谷翔平とは花巻東で1年秋からバッテリーを組んでいたため、高校生離れしたスピードにはもう慣れていた。だからこのときも速さには驚かず、ミットを突き上げてきた軌道のほうが鮮明に記憶に残っている。その直後、電光掲示板が「160㎞/ h」を表示した。

 2012年7月19日の炎天下、岩手県予選準決勝の一関学院戦。8─1と花巻東が7点リードしていた6回、ツーアウト二、三塁、フルカウントから大谷が投じた一球を、打者は立ち竦んだまま呆然と見送った。その見逃し三振に仕留めた真っ直ぐが、高校野球史上最速の数字をたたき出したのである。

 「しゃあっ!」と大谷が雄叫びをあげた。約1万3000人が詰めかけた岩手県営野球場のスタンドから大歓声が沸き起こる。観客はほとんど総立ちとなって拍手を送った。

 あの一球を、大谷はいまこう振り返る。

 「160㎞までいった手応えはありました。速い球を投げようというよりも、抑えないといけない場面ですから。ランナーもいましたし、それで気持ちが入ったんだと思います」

 エースとしての使命感に加え、終盤で得点圏に走者を背負った状況が、大谷の球にいつも以上の力を与えた。ショートからその姿を見守っていた主将の大沢永貴は、思わず鳥肌が立ったという。大谷が復活し、チームが本来の姿を取り戻せたことに感激していた。

「当然ぼくたちが行くものだと思ってました」

 「翔平は2年の夏にケガをして、3年の夏はあの準決勝が初先発でした。それまではほかの投手やぼくたち野手が頑張って、あそこでやっとエースが帰ってきた。これがおれたちのチームなんだという実感があったんです」

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photograph by Takanori Ishii

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