高校生にとって甲子園に出場するチャンスは計5回。早くも2回の機会を失った松坂は2年の夏に向けて、過酷な練習に励む。その成果は徐々に表れて――。
松坂大輔、高1の秋。神奈川大会の準決勝で敗れた横浜高校は関東大会への出場が叶わず、春のセンバツが絶望となった。次なる甲子園へのチャンスは2年の夏。1年の冬から2年の春、そして2年の夏へと、松坂の厳しい鍛錬の9カ月が始まった。
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1年の冬の地獄は予想通りでした。もう思い出したくもない(笑)。僕らが世界一周と呼んでいたアメリカン(ノック)はもちろん、ダービーもキツかった……あの呼び名は競馬のダービーから来てるのかな。ホームベースからスタートして、外野のアンツーカーのところをフェンス沿いに走って、ホームまで戻ってくる。それを何周するかは小倉(清一郎、当時の部長)さんの気分次第なんですけど、とにかく馬のようにひたすら走らされるメニューです。一周のタイムが設定されていて、それをクリアしろと言われるんですけど、何秒以内で3周、次に何秒以内で5周、最後は何秒以内で10周と、すべてをクリアしなければなりません。そのタイムで走れないとエンドレスになるんですが、走れば走るほど体力は落ちますから、エンドレスにされたらいつまでたっても終わるはずがありません。
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photograph by SANKEI SHIMBUN