将棋盤に刻まれた20本の黒い直線。この線を筆やヘラではなく代々受け継がれる日本刀で引くのが創業106年の『吉田碁盤店』。静寂に包まれた一室で、匠が神経を研ぎ澄まし、漆をまとった刃がゆっくりと木目に接する。その跡から、今日も盤上に新たな生命線が現れる。
名局の舞台となる将棋盤。それは盤師と呼ばれる、匠の真剣勝負から生まれる。
1916年創業、四代続く埼玉県行田市の『吉田碁盤店』は、タイトル戦に何度も盤を提供した名工。「吉田流太刀盛り」によって広く知られる。
漆によって9×9のマス目を引く工程は「目盛り」と呼ばれ、日本刀で目盛りを行なう吉田流太刀盛りは二代目以来一子相伝、口伝によって受け継がれてきた。
三代目吉田寅義さんが修業時代を語る。
「18歳のとき、親子の縁を切る覚悟で父に弟子入りしましたが、自分が正しいと思ってやったことも師匠がダメだといえばダメ。親子でなければ耐えられないほど修業は厳しく、風呂で泣いてばかりいたものです」
一子相伝を貫くのは、実子でなければ伝えられないほど太刀盛りが奥深いからだ。
「樹齢数百年の榧の木に新たな生命を吹き込む太刀盛りには、生半可な気持ちで向き合うことはできません。ときには緊張で腕が震えることもある。また漆は非常に繊細で、ちょっとした空気の動きで状態が変わる。初代が完成した漆の技法は文字に残すと流出する恐れがあるので、師匠にくっついて、ひたすらその仕事を観察し、加えて寝食をともにすることでしか会得できない。とても通いの修業で身につけられるようなものではないので、我が子に伝えるしかないのです」
効率や生産性には目もくれず、我が道をゆく吉田碁盤店。三代目はかつて、息子を後継者にするか否かで悩んでいた。息子に託すに足る器量がなければ、弟子入り希望者に継いでもらうしかない……。その覚悟を師匠に打ち明けたところ、一喝された。
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photograph by Takuya Sugiyama