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[親子クロスインタビュー]伊藤大海「たこつぼ漁師のミットめがけて」

2021/10/23
新人離れしたマウンドさばきと多彩な変化球を武器に日本ハム投手陣の柱となり、東京五輪金メダル獲得にも貢献した。その勝負度胸はいかにして育まれたのか。海風吹く故郷・鹿部町で聞いた両親の記憶を連れて、札幌ドームへ向かった。

 ただでは終わらぬ日韓戦。“事件”は東京五輪準決勝、2対2の同点で迎えた7回表2死走者なしの場面で起きる。

 韓国の打者が球審に注文をつけ、試合が中断。日本の3番手、伊藤大海が滑り止めのロジンをつけすぎ、ボールが見づらいと言い出した。ロジンをつけることはルール上認められており、言いがかりに近い。

 だが渦中の伊藤は平然としたもので、ゲームが再開されると「それならこっちも遠慮なく」とばかりこってりとロジンをつけ、再開後の一球を投じる。リリースの瞬間、いつもよりたくさんの白い粉が舞った。

 伊藤は韓国を抑え込み、そして8回裏、山田哲人の殊勲打が飛び出す。3日後、侍たちの胸に金メダルが輝いていた。

“#追いロジン”でネットのトレンドとなった再開直後の一球を、中断中から予感した人がいる。伊藤清光さんと正美さん。そう、伊藤の両親である。

「あのときは、つけると思ったよね」と父が言えば、母も「つけると思ったときには、あの子、もうロジン触ってた」と苦笑する。なぜ、わかるんですか? とたずねると、

母「そういう性格なんです。やめろと言われたら、逆にやろうとするところがあって」

父「だから俺はね、ロジンもだけど、次の一球を厳しいコースに投げるんじゃないかと思ったんだよね」

 遠くに海鳴りが聞こえる。ふたりが暮らす北海道鹿部町は噴火湾の湾口に近い漁師町。学校の校庭には野生の馬が出ることがあり、山あいには鹿や熊も出るという。この町の3代続くたこつぼ漁師の家に生まれた伊藤は早くも幼稚園児のとき、七夕の短冊に「プロ野球選手になる」と力強く書き込んだ。

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photograph by Takuya Sugiyama

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