2011年12月19日、神戸のホテル――。突然、場内が暗転し、スクリーンに宮本恒靖のプレーが映し出された。ガンバ大阪、ザルツブルク、ヴィッセル神戸、日本代表と、彼の足跡をなぞるように思い出のシーンが流れていく。何かをやり遂げたような表情がクローズアップされると場内に明かりが戻り、宮本は微かな笑みを浮かべながら登壇した。
「わたくし、宮本恒靖は2011年をもって現役を引退することを決意しました」
8台のテレビカメラが宮本に向けられ、眩いフラッシュが彼を照らした。その表情には、引退会見にありがちなウェットで感傷的なものは、まったく見られない。むしろ、けじめを付け、すでに次の展開に動き始めているのだろうか、清々としている。
壇上の宮本は、引退の理由を淡々と話し始めた。それは、どれももっともなものだが、引退はやや唐突な感があったのも否めない。11月30日、電話で話しをした時は、現役でのプレー続行に意欲的だった。それから10日程度で気持ちが引退に一気に傾いたことになる。
新幹線の車内で行われた「最後のインタビュー」
なぜ、引退だったのか。
やり残したことはなかったのか。
衝撃的な記者会見から4時間後、テレビ各局のインタビューを立て続けにこなした宮本は少し疲れた表情で現れ、新神戸から新幹線に乗り込んだ。隣りの席に座り、最後のインタビューを始めた。
――引退という言葉が浮かび始めたのは、いつごろだったのだろう?
「5月末に柏に負けてから7月半ばのガンバ戦まで3分け6敗で、まったく勝たれへん時期にあったんです。自分はセンターバックでは3番手の選手やけど、そういう状況を変えたり、チームを助けるために必要とされていると思っていた。でも、勝たれへん時に自分の出番がないというのは、もうピッチ上では必要とされてへんのかなあ、もう違う方向に行くタイミングなんかなあって思ったのが、最初かな。で、11月に天皇杯のFC東京戦があって、天皇杯なら出番があるかなって思って準備してたんです。でも、なかった。連敗していた時もそうやったけど、使われへんのは選手としての今の自分の評価やなって思ったし、こういう状況で現役を続けるのは、厳しいかなって思った」
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