< 記事に戻る 「悲劇の主人公のような扱いは嫌でした」箱根駅伝2区で大ブレーキ、櫛部静二が明かすアクシデントの“その後”「自分のために走ろうと決めた」 1年生ながら2区を任された箱根駅伝。櫛部は脱水症状を起こし失速しながらも、中継所へと襷を繋いだ(1991年) ©AFLO この記事を読む