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「右肩、今も痛みます」“ドラフト栄養費騒動”一場靖弘の投手生命が変わった“ある派遣令”…引退後の今は何を?「選手の夢をサポートしたい」と力説
posted2026/11/01 11:01
2012年の一場靖弘。楽天からヤクルト移籍後も右肩の状態が上がらず苦しんだという
text by

間淳Jun Aida
photograph by
Toshiya Kondo
栄光と挫折、波乱の幕開け
今から22年前のドラフト会議をめぐって、紆余曲折の人生を歩んだのは一場靖弘だった。当時最速154キロを誇った右腕だが、ドラフト3カ月前に巨人から栄養費の名目で現金を受け取っていたことが明らかになった(のちに横浜、阪神も)。猛バッシングを受けた末、楽天が自由枠で指名し、プロへの門をたたいた。しかしルーキーイヤーはプロの高い壁にはね返された。
苦しい経験は無駄ではなかった。結果が出ない中でも登板を重ねたことで、プロ2年目は一軍の雰囲気に慣れてきた。フォーム改造も良い方向に働き、特にチェンジアップやスプリットといった落ちる球が効果的だった。チームの大黒柱だった岩隈久志がケガで離脱し、責任感も一層強くなった。
「岩隈さんの穴は大きかったですが、自分にとっては先発の柱になるチャンスと捉えました。気持ちが前向きになれたところが、成績にも表れたと思います。ただ、根本的な気持ちの落ち込みは変わっていなかったかもしれません。心ない言葉には滅入ってしまう時もありましたから」
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プロ2年目はチームで唯一、先発ローテーションを1年間守り抜いた。7勝14敗で黒星が先行したものの、30試合で193回2/3を投げて規定投球回に達した。防御率も4.37で、1年目の5.56から大幅に改善した。
断れなかった運命の分岐点は2年目オフに
3年目のシーズンは、さらなる飛躍の年にするはずだった。その矢先、2年目のシーズンオフに選手生命に大きな影響を及ぼす出来事が起きる。球団から命じられたウインターリーグへの派遣だった。
ウインターリーグは通常、実戦経験のない若手選手が対象となる。将来のエース候補として一場に対する球団側の期待の表れとも言えるが、年間を通して登板した投手が派遣されるのは極めて異例だ。けがを防ぐためにも、オフはシーズンの疲労を取る大切な時間となる。
ウインターリーグでの登板を打診された一場は当初、体のケアを優先したい考えを球団に伝えた。しかし、当時チームを指揮していた野村克也監督の意向が強く働き、最終的には断れなかった。

