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「本当に狂っていたのはオレよりも猪木」タイガー・ジェット・シンが語る“狂気の抗争”「カメラマンも恐怖した」82歳で流血騒動“狂える虎”のふたつの顔
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原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2026/10/21 17:30
「猪木との出会いは初恋のようだった」と笑顔で語るタイガー・ジェット・シン(82歳)。10月16日、横浜市鶴見区の總持寺
「本当に狂っていたのはオレよりも猪木」
1973年にNET(現テレビ朝日)が新日本プロレスの中継『ワールドプロレスリング』を始めていたが、正体不明のシンの登場と、猪木との血なまぐさい抗争は人気を呼んだ。
シンが買い物中の猪木・倍賞美津子夫妻を襲った1973年11月の“新宿伊勢丹事件”はセンセーショナルだった。翌年の6月大阪では猪木がシンの腕を折る“腕折り事件”もあった。猪木とシンの抗争はまさに狂気の世界そのものだった。「クレイジー」と呼ばれてきたことをシンは喜んでいた。
「猪木との試合はいつもハードなものだったよ。あれは猪木の過ちだったかもしれないが、猪木はオレの腕を折ったんだ。本当に狂っていたのはオレよりも猪木だろうな。オレの体が壊されたのは腕だけではない。頭もうずくし、ヒザも、腰も全部持っていかれた。ずっとその痛みに耐えてきたよ。でも、オレは猪木を恨んでいない。幸い、まだ歩けるからね。あの時の視聴率が21%。信じられるか? 北海道もどこも満員になった。今ではすべてが思い出になっている」
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シンは猪木に腕を折られた後、約1年間リングから遠ざかった。興行上、翌月に決まっていた試合があったので、地元のリングに一度だけ顔を出したことはあったけれど。
猪木との試合はそれからも続いた。全身にオイルを塗っての試合までやった。
「シンだけはわからない」カメラマンの恐怖
全日本プロレスに移ったシンはよくイスを投げた。ジョー樋口レフェリーから言われたことがある。
「イスはいつもストライクとは限らないから、カメラマンは注意するようにね」
鉄柱に当たったイスが、どこに飛ぶかは神のみぞ知るという具合だ。跳ね返ったイスが立っていた馬場に当たって馬場が倒れたこともある。
シンはサーベルを手に観客を蹴散らした。一方でシンは写真を撮られることを好んだ。新聞の1面、雑誌の表紙になることに自身のステータスを感じていた。だから、カメラマンを集めては写真を撮らせる。だが、「サンキュー」という言葉が終わらないうちに「アー」という声とともにサーベルが襲ってきた。シンのサーベルの振り下ろし方は半端ではなかった。逃げるカメラマンの背中への一撃。顔見知りだろうが、新人だろうが容赦なかった。背中には何カ月もアザが残ることになる。どんなに痛くてもシンに襲われたら勲章だと思うしかない。
「シンだけはわからない。安易に近づいてはいけない」
私は先輩の記者やカメラマンから言われたこの教訓を守った。シンは怖い。怖いから試合以外では決して近づかない。1枚撮ったら下がる。



