沸騰! 日本サラブ列島BACK NUMBER

「強さだけで“社会現象”になった馬」20年前、ディープインパクトの凱旋門賞挑戦で何が起きていたのか?「フランス現地紙も一面トップ」密着取材の記録 

text by

島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

PROFILE

photograph byTomohiko Hayashi

posted2026/10/04 06:00

「強さだけで“社会現象”になった馬」20年前、ディープインパクトの凱旋門賞挑戦で何が起きていたのか?「フランス現地紙も一面トップ」密着取材の記録<Number Web> photograph by Tomohiko Hayashi

圧倒的な強さで社会現象級の人気を誇ったディープインパクト。ファンの大きな期待を背負って2006年の凱旋門賞に挑んだ

 ダービー当日、午前7時30分の開門(通常は9時)前に7807人が東京競馬場の正門前に並んだ。入場者は14万143人。場内にはディープインパクトの等身大の馬像があった。菊花賞は東京都心のデパートの館内放送でも実況中継され、ゴール後、京都競馬場の上空に三冠制覇を祝う飛行船が飛んだ。

 かつて国民的スターとなったハイセイコーもオグリキャップも、地方競馬出身の野武士が中央のエリートを打ち負かすという、日本人好みの判官贔屓の琴線に触れるストーリーを持っていた。それに対して、ディープインパクトは、強さだけで圧倒的人気を博した初めての馬であった。

ディープインパクトがくれた「特別な時間」の始まり

 2006年1月23日、JRA賞授賞式で、金子真人オーナーが「夏にヨーロッパでいいレースがあれば使いたい」と発言。2月には池江泰郎調教師(当時)が、天皇賞・春後にキングジョージVI世&クイーンエリザベスステークスか凱旋門賞へ向かうと発表した。そして、天皇賞・春を、武が「世界にこれ以上強い馬がいるのかな、と正直、思いますよね」と言ったほどの内容で圧勝。その8日後の5月8日、宝塚記念を経て凱旋門賞へ向かうことが正式に発表された。

ADVERTISEMENT

 6月25日の宝塚記念も完勝。そこから10月1日の凱旋門賞へ直行することになった。

 7月3日から金子オーナー、池江調教師、そして武がフランスを視察。

 7月19日にはJRAから遠征の日程が発表され、8月2日にディープインパクトが栗東から美浦へ移動……と、私たちは、動向を追いつづけた。

 出国は8月9日、水曜日。

 私はその日、早朝から成田国際空港の貨物地区にいた。台風の影響で、激しい雨が降っていた。

 今思うと、あそこでディープインパクトと帯同馬のピカレスクコートを乗せた馬運車の到着を待っていたころから、日常とはかけ離れた、ディープインパクトがくれた「特別な時間」が始まっていた。

 一頭の馬の海外遠征を、私だけではなく多くの記者やカメラマンが見送ることなど、今後はもうないだろう。

【次ページ】 現地フランスでも“特別扱い”だった

BACK 1 2 3 NEXT
#ディープインパクト
#武豊
#池江泰郎
#金子真人
#市川明彦
#池江敏行
#レイルリンク
#メイショウタバル
#アドマイヤテラ

競馬の前後の記事

ページトップ