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「森保家の3階で麻雀も楽しんだ」盧廷潤が55歳になった今も忘れない、兄貴のような森保一「いつもサンフレッチェの真ん中にモリヤスがいた」
posted2026/08/27 11:07
サンフレッチェ広島でプロのキャリアを歩み始めた盧廷潤(左)。日本を去った後も、森保一とは家族ぐるみの付き合いが続いた
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キム・ミョンウKim Myung Wook
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J.LEAGUE
Jリーグが開幕した1993年、当時22歳の盧廷潤は結婚したばかりの妻を連れて日本にやってきた。慣れない異国での生活を支えてくれたのが、サンフレッチェ広島で兄貴分と慕った森保一だった。ソウルの街で30年以上前の思い出を振り返った。〈NumberWebインタビュー全4回の第2回〉
ピッチでは厳しかった森保一
「森保さんには、目に見えないパワーがあるんですよ。人の面倒を見るのが、すごくうまいというかね」
日本代表をズラリと揃えたヴェルディ川崎やジーコら往年の名選手を擁する鹿島アントラーズとは対照的に、Jリーグ初期のサンフレッチェ広島には突出したスターはいなかった。それでも、1994年サントリーシリーズで優勝できたのは、組織で守り、組織で攻めるサッカーを確立したからにほかならない。
そのつなぎ役だったのが、ボランチの森保一だった。
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前線の両サイドで活躍した盧廷潤には、中央の底でタクトを振るう森保から「下がれ!」「上がれ!」と常に指示が飛んだ。
「森保さんは体が大きいわけでも、スピードがあるわけでもない。とにかく動いて、頑張る選手でした。真ん中にいるから、攻撃にも守備にも言わないといけない。グラウンドではとにかく厳しかった。でもピッチを離れたら怒ることはなかったですね」
年長の風間八宏がキャプテンとして君臨。中核には“アジアの大砲”と呼ばれた高木琢也のような寡黙な実力者がいた。森保は、彼らと若手、そして韓国から来た盧のような外国籍選手の間に入り、いわば中間管理職のような役割を担っていた。
「そう、まさに中間管理職。みんなに気を使う。上の選手とも、若い選手とも仲がいい。森保さんがいたから、あのサンフレッチェなんです」

