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「森保家の3階で麻雀も楽しんだ」盧廷潤が55歳になった今も忘れない、兄貴のような森保一「いつもサンフレッチェの真ん中にモリヤスがいた」 

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キム・ミョンウ

キム・ミョンウKim Myung Wook

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photograph byJ.LEAGUE

posted2026/08/27 11:07

「森保家の3階で麻雀も楽しんだ」盧廷潤が55歳になった今も忘れない、兄貴のような森保一「いつもサンフレッチェの真ん中にモリヤスがいた」<Number Web> photograph by J.LEAGUE

サンフレッチェ広島でプロのキャリアを歩み始めた盧廷潤(左)。日本を去った後も、森保一とは家族ぐるみの付き合いが続いた

 森保との関係は盧が韓国に戻ったあとも続いた。森保が年代別日本代表のコーチとして韓国の東南部の慶州(キョンジュ)を訪れた時には、ソウルから車で4時間かけて出迎えた。森保がプライベートで韓国を訪れた際にも、食事や酒をともにした。

 森保が広島の監督としてJ1を3度も制し、やがて日本代表監督になったことを、盧は必然と受け止めている。

「サッカーのことしか知らないような人だから(笑)。でも、代表監督は一番難しい。自分が一番だと思っているような個性の強い選手たちを集めて、コントロールしないといけない。それができたのだから、監督として成功したということじゃないですか。見えないところでも心配してくれる。人を大事にする。人を助ける。それが森保さんの元々の性格なんです」

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 人を大切にしながら、必要な時にはチームの進む方向を示す。盧は、森保がボランチとして前後左右を動かしていた姿と、指揮官としての森保を重ねているようだった。

 取材中はよく笑い、身ぶりも交えて日本での思い出を語る。ただ、一つ気になることがあった。右手をほとんど動かさなかったことだ。食事をする際も、コーヒーをすするカップを持つ時も、頑なに左手を使っていた。

「実は、2019年に、脳梗塞で倒れたんです。本当に、死ぬところでした」

 韓国メディアにも、長い間、明かしてこなかった壮絶で孤独な闘病生活を語りだした。〈つづき→第3回

#3に続く
「本当に死ぬところでした」脳梗塞で生死を彷徨った元Jリーガー盧廷潤55歳が語る、森保一とミョンボ先輩の見舞いを拒否した理由「それでも元気ですか、と」
この連載の一覧を見る(#1〜4)

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