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「走るとなんかぜいぜいするな」日本シリーズでホールド王の体に“異変”…王ダイエー歓喜の裏で悲劇の予兆「僕らも、プロって体が強いもんかな、と…」 

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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photograph byKoji Asakura

posted2026/08/31 11:00

「走るとなんかぜいぜいするな」日本シリーズでホールド王の体に“異変”…王ダイエー歓喜の裏で悲劇の予兆「僕らも、プロって体が強いもんかな、と…」<Number Web> photograph by Koji Asakura

1999年日本シリーズ第5戦、日本一に王手をかけたホークス・王監督は、早い回から「勝利の方程式」の一角、藤井将雄を投入するが……

「とにかく、チャンスが巡ってきたんだよ。3勝したから、初めて日本一になるチャンスが出てきたわけだからね。第6戦は工藤(公康)が投げる予定だったんだけど、まだ勝てるかどうかなんて分からないわけじゃない? だけど、第5戦は勝つチャンスがあったんだよ。だから、ここで行くっていうことだよ。だって、6戦目は工藤を先発に置いている、というだけの話で、6戦目のことを考えて、5戦目なんかやれないからね。5戦目は勝つ流れになったんだから、絶対に勝とう、ということでね」

 9イニングを3つに分ければ、序盤、中盤、終盤。「勝利の方程式」は終盤に繰り出し、リードを保ち、守り切るというのが定石だ。ところが、第5戦の王は序盤から早々と逃げ切り態勢に入ったのだ。

 日本一までの残り「19アウト」を、藤井将雄、吉田修司、篠原貴行、ロドニー・ペドラザの「勝利の方程式」で奪い取り、敵地での5戦目で今シリーズを一気に決めてしまう。延長のことも、第6戦への影響なども全く考えない。あるのは、この試合を絶対にモノにして、日本一になることのみ。そのためには、戦力を出し惜しみしたりはしない。すさまじいばかりの勝利への執念だ。

藤井将雄という男

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 マウンドに立った藤井将雄にとって、1999年は大ブレークのシーズンだった。

 佐賀・唐津商から社会人の日産自動車九州を経て、1994年のドラフト4位でプロ入りした右腕は、ドラフト指名を受けたときにはすでに26歳。もはやオールド・ルーキーと呼ばれてしまう、遅いプロ入りでもあった。ルーキーイヤーの1995年、先発もこなして4勝を挙げ、完封勝利も収めている。しかし2、3年目の2年間は、合わせて26試合の登板にとどまり、防御率はいずれの年も5点台。何かともどかしい、不完全燃焼ともいえるシーズンが続いていた。

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