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「走るとなんかぜいぜいするな」日本シリーズでホールド王の体に“異変”…王ダイエー歓喜の裏で悲劇の予兆「僕らも、プロって体が強いもんかな、と…」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKoji Asakura
posted2026/08/31 11:00
1999年日本シリーズ第5戦、日本一に王手をかけたホークス・王監督は、早い回から「勝利の方程式」の一角、藤井将雄を投入するが……
脱税問題に関与したことで、1998年の開幕から3週間出場停止、制裁金50万円のコミッショナー処分も受けてはいるが、その年、かねてから定評があった相手の内角を大胆につく強気な投球と制球力の高さから「セットアッパー」としての適性を見出されると、48試合登板を果たして4勝無敗。そして1999年、この年から1軍投手コーチに就任していた尾花高夫が命名した「勝利の方程式」の一翼に藤井は組み込まれることになる。
リリーフだけで14連勝という離れ業を見せた8回の篠原貴行、そしてシーズン途中に来日、48試合登板、計59イニングで被本塁打0という安定感で9回を担ったロドニー・ペドラザへと繋ぐべく、藤井は32歳の左腕・吉田とともに、篠原、ペドラザの直前を担う“7回の男”としてチーム2番目となる59試合に登板。当時のパ・リーグ新記録となる26ホールドを挙げ、最多ホールドのタイトルを獲得するなど、その闘志あふれる投球ぶりから“炎の中継ぎ”と呼ばれた右腕を、王は3回途中から“早期投入”したのだ。
藤井にとっては、第2戦で7回からの1イニングを投げたのに続き、中3日の休養を挟んでの、今シリーズ2度目のマウンドだった。
城島健司が見た“兄貴分”の異変
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ただ、この日の藤井は、どこか精彩を欠いた投球内容だった。
交代直後の3回2死一塁、中日の6番・筒井壮を右飛に打ち取って、さらなる失点は阻止した。だが、イニングをまたいでの4回、1死から8番・中村武志に左前打、代打の益田大介に右前打、過去4戦を無安打に封じ込めていた1番の関川浩一にはこのシリーズの初安打を右前に運ばれるなど、満塁のピンチを招いてしまった。続く2番・種田仁を遊飛に抑えて2死を取ったところで、王は藤井に代え、3番手に左腕・吉田の投入を決断する。
三塁側ベンチから、投手コーチの尾花高夫がマウンドへ歩いて来る。捕手の城島健司も藤井のもとへと歩を進めていく。
その時、城島は前方に立つ“兄貴分”が、激しく、肩で息をしているのに気づいた。
1994年ドラフトでは城島が1位、藤井が4位指名。8歳年上のドラフト同期は「ホントに、兄貴みたいなもんだから」と、城島は親しみを込めて表現する。藤井にまつわる数々の思い出話になってくると、その饒舌ぶりは止まらなくなる。

