甲子園の風BACK NUMBER
横浜高・渡辺元智監督が認めた“次代の名将”「えらい監督が現れたな…」81歳で死去した“ミスター高校野球”はライバル、盟友と何を語り合ったのか?
text by

安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph byTakashi Shimizu
posted2026/08/24 17:26
横浜高校の監督として春3回、夏2回の甲子園優勝を果たした渡辺元智さん。写真は監督ラストイヤーとなった2015年に撮影
「私は野球をあまり知らないから、その分、真剣に向き合った。そうすると、相手も心を開いてくれる。プロに行った教え子が六十数人いますが、技術的に手を加えた記憶はない。いい部分を消したら意味がない。じっと見守る。我慢する。その中で伸び悩むとき、自分が持っている知識を最大限に提供しました」
さらに、「時代が変わっても、大切なのは本人の意思です。我々指導者にできることは、いかにやる気を起こさせるか。できるようになるまで努力、練習をさせること。そこに付き合うこと。ヒントを与えること。あとは選手の心構えです」と力説した。
少年野球も含めた全国の指導者に届けたい言葉だった。
盟友との対談では恥ずかしそうに…
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最後に対談をお願いしたのは一昨年の夏だった。雑誌『Number』の企画で、監督・部長として長くコンビを組んだ小倉清一郎さんと対談してもらった。
このときばかりは、渡辺さんはなかなか受諾してくれなかった。横浜高野球部の同期生だから、15歳で出会ってから65年の付き合いになる。改めて向き合うのは気恥ずかしいという気持ちもあったのだろう。2人そろって、じっくり話を聞いたことはなかったし、そういう企画を読んだり、見聞きしたりした記憶もない。だからこそ、実現したいという思いもあった。
「小倉さんは『渡辺がよければ、おれはいいよ』と言っています」と、なかば強引に約束をとりつけた。
2024年7月21日、対談場所は横浜のシンボルでもあるホテルニューグランド。最初に写真撮影をした。
「もう一歩近づいてください」「目線を見つめ合うように」。カメラマンの要望に、小倉さんは面白がって応じた。一方の渡辺さんは恥ずかしがって後ずさりしつつ、最後はピタッと決める。
2人のコンビには、こういう間合い、呼吸が昔からあった。ふだんの練習では野球知識に長け、アイデアマンの小倉さんがどんどん動き、渡辺さんはその情熱と計画を尊重し、半歩後ろから見守り、修正すべきところは修正して最後を締める。一方、試合になると、今度は小倉さんが一歩引き、監督の渡辺さんが前面に出る。
対談も「俺から話していいかな」という小倉さんの先制パンチから始まり、渡辺さんが「小倉の視点から見えない部分を話せば」「ちょこちょこっと違うんだけどな」と修正しながら応じるという形で進んだ。

