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横浜高・渡辺元智監督が認めた“次代の名将”「えらい監督が現れたな…」81歳で死去した“ミスター高校野球”はライバル、盟友と何を語り合ったのか? 

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安藤嘉浩

安藤嘉浩Yoshihiro Ando

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photograph byTakashi Shimizu

posted2026/08/24 17:26

横浜高・渡辺元智監督が認めた“次代の名将”「えらい監督が現れたな…」81歳で死去した“ミスター高校野球”はライバル、盟友と何を語り合ったのか?<Number Web> photograph by Takashi Shimizu

横浜高校の監督として春3回、夏2回の甲子園優勝を果たした渡辺元智さん。写真は監督ラストイヤーとなった2015年に撮影

 渡辺さんは若いころ、8歳年長ですでに実績のあった東海大相模の原貢監督を目標にした。思い切って、教えを請いに出向いたこともあったという。

「近寄りがたい雰囲気もあったが、受け入れてくれた。すごい包容力がありました。一緒に酒も飲みました」

 それから半世紀が経ち、いまは渡辺さんが後輩の指導者たちに、懐を開いているのだと感じ入った。

名将の育成論「私は野球をあまり知らないから…」

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 ほぼ1年後の2018年の春先、今度は同世代の指導者と対談してもらった。PL学園(大阪)の監督として黄金期を率いた中村順司さん。意外にも2人が甲子園で対戦したのは、1998年春の選抜大会準決勝が最初で最後だった。松坂世代のライバル対決第1ラウンド。PL学園・中村監督のラスト采配にもなった。

 対談をお願いした当時、中村さんは名古屋商科大学の野球部総監督だった。渡辺さんはここでも「練習があるでしょうから私が名古屋に行きます」と2歳下の好敵手を気遣い、朝日新聞名古屋本社内での対談となった。

 テーマは「名将が語るあの夏」。対談内容は書籍『あの夏(下)君が輝いた甲子園』(朝日新聞出版)に特別編として収録したほか、雑誌『週刊朝日』にも掲載された。

 実は、中村監督率いるPL学園が全国制覇を果たした1985年夏の決勝で、渡辺さんはテレビ中継のゲスト解説をしている。3年生になった清原和博選手が2本塁打を放った宇部商(山口)との一戦だ。

「甲子園は清原のためにあるのか!」

 朝日放送・植草貞夫アナウンサーの名実況が生まれた放送席で、渡辺さんはその隣に座っていたのだ。

「私は放送席で唖然としていました」。当時の実況映像で清原選手の本塁打を見ながら、渡辺さんは振り返った。

「『言葉になりません』と言っていますね。そんな心境でした。『バケモノですね』とも言いましたか。だって怪物を通り越しているでしょ」

 実に楽しそうに語った。

 両チームともプロをはじめ、大学や社会人でも長く野球を続ける選手が多い。その育成に関するテーマでは、謙遜も交えてこんな話をした。

【次ページ】 盟友との対談では恥ずかしそうに…

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