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「苦しかったな…というのもあります」PL学園“伝説の名将”の孫が甲子園後に明かしたホンネ…「どんな指導者になりたい?」質問への“納得の答え”
posted2026/08/21 17:00
PL学園“伝説の名将”中村順司の孫で今夏の甲子園に佐野日大の主将として出場した中村盛汰。サラブレッドの胸中はどんなものだったのか
text by

田口元義Genki Taguchi
photograph by
Sankei Shimbun
キャプテンと血筋。
佐野日大の中村盛汰にとって何よりも重要なのは前者だ。しかし、世間はどうしても後者をクローズアップしたくなる。
中村順司の孫。
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PL学園の監督として、1987年に達成した春夏連覇など6度の日本一。甲子園で通算58勝を挙げ、桑田真澄と清原和博の「KK」をはじめ多くの名選手をプロへと送り出した名将の血筋を継ぐ者が甲子園に出場したとなれば、否が応でも話題にされてしまう。
“レジェンド”の祖父に関する質問
センバツに続いて夏も甲子園に出た佐野日大のキャプテンは、試合後の囲み取材になると真っ先に祖父について記者の質問を受ける。
やりとりは、だいたいがこんな具合だ。
――試合前に言われたことは?
「『自分ではなくチームの結果を最優先に』と言われるので、その言葉通りのプレーをしたいな、と思います」
――高校野球のレジェンドでもある祖父は、どのような存在か?
「甲子園で1勝するだけでも本当にきつく、大変だったんですけど、それを何度も続けてきたことが非常に偉大だと感じています」
囲み取材中の中村は表情を崩さない。それは、血筋を認めながらも自己証明を果たさんとする覚悟の表れでもあるようだった。
福島から富山の新川で高校野球を過ごした3歳上の兄、貫汰の成長を目の当たりにし、中村も県外でのプレーを志した。日大東北で指導する父・猛安は、兄と同じ道を選んだ弟の決断を、このように尊重している。
「甲子園に行くために日大東北を捨てて、佐野日大に行ったわけではないんです。貫汰の自立に後押しされたこともあるでしょうけど、そこから家族ですごく話し合いましたし、盛汰の決意も固かったですからね」
父は息子に告げた。
「高校に入ったらおじいちゃんがいるからとか、いろんなことを言われるぞ。それはお前にとって宿命だからな」
息子は父の言葉を受け止め、背負った。
佐野日大のBチームは、下級生の1年生をリーダーに据え、チームに残る2年生がバックアップする仕組みとなっている。同級生のみならず、上級生も牽引する立場となった中村は「道具の整理ができていない」など、細かいところまで指導者から指摘されてきた。

