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「今の時代では足りないと思い知らされた」日大三高・小倉全由前監督が徹底した部員数制限、体罰排除…それでも見えなかった“現代の死角”
text by

中村計Kei Nakamura
photograph byHideki Sugiyama
posted2026/08/19 11:01
日大三高野球部の監督時代の小倉全由氏
「お父さん、偉くなっちゃだめだよ」
――小倉さんは自分から選手たちの方へ降りていくことができる指導者ですよね。
小倉 自分は選手たちに全部言うんですよ。自分の弱さとか失敗も。それは、ぜんぜん恥ずかしくない。監督時代、自分がお客さんを見送るために寮の表に出たとき、5人の部員がトンボを持ったまま整備をサボっていたんです。そうしたら、自分の姿を見た途端、わーっと散って逃げたんです。自分はそのとき、激怒しましてね。「同じ屋根の下に暮らしているのに俺の姿を見ただけで逃げるようなやつらと一緒に野球はできねえ。合宿所を出ていけ!」って。だけど、1週間くらい経ったら、こっちが我慢できなくなっちゃってね。選手と口がきけないのって、指導者も辛いんですよ。あいつらと話がしたくてしたくてさ、結局、自分から「もういいから、帰ってこい」って言っちゃいましたね。
――帰ってきた選手たちには何と?
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小倉「俺がグラウンド整備をサボったくらいで怒ったことがあるか?」って。「そうじゃない。俺の姿を見て散っていくお前らの姿が嫌だったんだ。俺とお前らの関係は、その程度のものなのか」と伝えました。自分は23歳のとき(1981年)に関東一高の監督になって、85年、86年、87年と3年連続で甲子園に行って、87年の春は準優勝までしちゃったでしょう。あのときは偉そうにしてたと思いますよ。車を運転しているときも前に割り込まれたりしたら「この野郎!」みたいにやってましたもん。「甲子園なんて楽勝だよ」みたいなことも言ってたみたいで、うちの母さん(妻)によく言われてました。「お父さん、偉くなっちゃだめだよ」って。でも成績が振るわなくなった途端、1988年に監督をクビになった。4年間、野球から離れていた時期があるんですけど、あれがいい薬になったんでしょうね。現役時代、たいした実績もないからプライドなんてものもない。だから悪いと思ったら選手にもすぐ謝れるし、折れることもできるんですよ。
《続く》

