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甲子園優勝投手に社会人で“異変”「松井秀喜と自分を比べはしなかった」森尾和貴52歳は今…“消えた天才投手”の実像「消えてもないし、天才でもない」
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松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byNumber Web
posted2026/08/19 11:43
柔和な表情で取材に応じる森尾和貴(52歳)。新日本製鐵八幡野球部の廃部と同時に現役を引退し、長く社業を続けている
森尾和貴と新日本製鐵八幡の「最後のマウンド」
バブル崩壊後の1990年代後半から、業績不振や経営環境の変化といった理由で、社会人野球に休部、廃部の波が押し寄せた。都市対抗出場37回、優勝2回、準優勝2回を誇り、多くのプロ野球選手を輩出した名門・新日本製鐵八幡野球部も、2003年かぎりでの廃部が決まった。
「社会人で結果は出せませんでしたが、最後まで野球をやり遂げたかった。廃部という形でも、最後まで投げたい思いがありました。周りからご配慮いただいたうえで、最後のマウンドに立たせてもらいました」
2003年の都市対抗野球九州予選を最後に、新日本製鐵八幡野球部は長い歴史に幕を下ろした。そして29歳になった森尾和貴の現役生活にもピリオドが打たれた。
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「社会人野球を11年間やって、きっかけは廃部でしたが、社業に専念することになりました。野球をやめて20年以上ですか……。本当にいろいろなことがありましたが、野球を通じて最後まで投げ抜く姿勢を学んでいたから、社会人としての人生も頑張れたのかな、と思いますね」
現役引退後も新日本製鐵(現・日本製鉄)で勤務した。甲子園優勝投手の冠はメリットにもデメリットにもなった。職場で「甲子園優勝投手なのに」と言われて困惑したこともあったという。サラリーマンとして幾つかの壁を乗り越えて、森尾は52歳となった現在も日々汗を流して働いている。
現在の球児たちに伝えたいことはあるかという問いに対し、森尾は襟を正し、ピシッとした姿勢で語り始める。その所作に、真面目な人柄がよく表れていた。
「本当に勝とうと思うのなら、単に一生懸命頑張ればいいわけではない。最後の夏までの2年半、どこまで本気で日本一を目指すかによって相当な差が出てきます。日本一になるためには日本一の練習をしなきゃいけない。『これだけやったんだから仕方ねえ』って思う。それ以上にやるんです。同じように野球をやっている全国の誰よりも、1分1秒でも長く、濃い練習を。最後の夏で素晴らしい結果を残すには、日本一の練習はもちろん、日本一の高校生活を送ること。授業中の態度や寮生活での掃除など、野球以外の生活の部分においても手を抜かないことが野球の結果につながると考え、過ごしていました」
そして、自戒を込めてこう話した。

