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「高校野球をネタにしたことは一度もありません」板東英二が熱く語った…“1大会83奪三振”の偉業も「甲子園に出たのが偉いわけやない」本音の高校野球論

posted2026/08/16 06:01

 
「高校野球をネタにしたことは一度もありません」板東英二が熱く語った…“1大会83奪三振”の偉業も「甲子園に出たのが偉いわけやない」本音の高校野球論<Number Web> photograph by KYODO

2008年8月2日、徳島商のユニフォームで甲子園の開会式に登場。板東英二さんにとって「高校野球」は特別だった

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安藤嘉浩

安藤嘉浩Yoshihiro Ando

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7月22日に86歳で亡くなった板東英二さん。1958年夏、甲子園で1大会83奪三振という大記録を打ち立て、プロ野球選手、タレントとしても多くの人に親しまれた。「ぼくはカーブが投げられんのです」「高校野球をネタにしたことは一度もない」。ユーモラスな饒舌の裏にあった、板東さんの意外な一面とは。本人と旧友たちの言葉から、その素顔に迫った。(全2回の2回目/前編へ)

◆◆◆

 徳島商時代の後輩たちに「ようできた優等生」「あの人は大人やった」と尊敬されていた板東英二さん。そんな板東さんが心を許したのが、三塁手の玉置秀雄さんだった。

「監督が厳しくて、選手がどんどんやめてしもうたんです」。板東さんが当時を語る際の鉄板ネタとして登場した人だ。

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「そやから三塁を守っとった玉置なんて、もともとマネジャーやった。中学ではピンポン(卓球)やっとった男です。私が三振とらんと、勝てんチームやったんです」

 確かに中学時代は野球部と卓球部を掛け持ちしていたそうだが、魚津(富山)戦でも6度の守備機会を無失策でこなすなど、本当は守備の堅い選手だった。

「試合中にベンチで寝とった」1大会83奪三振の真実

 その玉置さんは、すべてに優秀な板東さんに対しても遠慮しなかった。奪三振の多さも「あいつのわがまま」と言い切る。

「2死走者なしで三振とるな。打たせて(野手に)リハーサルさせい」と叱ったこともあると懐かしんだ。

「そいで2死満塁は三振をとらず、打たせる。『全力で投げい』と言うたら、『フォアボール出したら点入るやないか』と言いよった。案外、気が弱い」

 板東さんにとっても、互角に言い合える、気の置けない存在だったのだろう。甲子園出場を決めると、「1回は勝たな、かっこう悪いな」と玉置さんに打ち明けたという。

 1958年8月16日、「剛腕」板東投手を擁する徳島商は準々決勝で延長18回の末に魚津と0-0で引き分け、翌17日の再試合は3-1で勝利した。板東投手は再試合も完投し、9三振を奪っている。今大会の奪三振数は計66個となり、大会最多記録を更新した。

 前日の試合中に走塁でひざを痛め、試合中に痛み止めの注射を打ったそうだが、「全然へばったという気はしません」と試合後に語った通り、翌18日の準決勝でも14三振を奪って作新学院(栃木)を4-1で下した。

【次ページ】 「高校野球をネタにしたことは一度もありません」

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