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板東英二の告白「ぼくはカーブが投げられんのです」甲子園の伝説“延長18回再試合”はこうして生まれた…じつは「ようできた優等生」旧友たちが語る素顔

posted2026/08/16 06:00

 
板東英二の告白「ぼくはカーブが投げられんのです」甲子園の伝説“延長18回再試合”はこうして生まれた…じつは「ようできた優等生」旧友たちが語る素顔<Number Web> photograph by スポーツ報知/AFLO

1958年8月16日、壮絶な投手戦を繰り広げた板東英二(徳島商/左)と村椿輝雄(魚津/右)。0対0のまま延長18回を終え、引き分け再試合となった

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安藤嘉浩

安藤嘉浩Yoshihiro Ando

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7月22日に86歳で亡くなった板東英二さん。1958年夏、甲子園で1大会83奪三振という大記録を打ち立て、プロ野球選手、タレントとしても多くの人に親しまれた。「ぼくはカーブが投げられんのです」「高校野球をネタにしたことは一度もない」。ユーモラスな饒舌の裏にあった、板東さんの意外な一面とは。本人と旧友たちの言葉から、その素顔に迫った。(全2回の1回目/後編へ)

◆◆◆

 8月16日は甲子園の名勝負がいくつも生まれた日だ。作新学院の「怪物」江川卓投手(栃木)が銚子商(千葉)に敗れた雨中の延長戦(1973年)も、箕島(和歌山)と星稜(石川)が死闘を繰り広げた延長18回(1979年)も8月16日だった。1992年には星稜の松井秀喜選手が5打席連続敬遠で甲子園を去っている。

 甲子園を沸かせた歴代のヒーローがレジェンド始球式に登場した2018年の第100回全国高校野球選手権記念大会。8月16日にマウンドに上ったのが、板東英二さんだった。

延長18回まで「0」を並べた…伝説の投手戦のウラ側

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 1958年8月16日、第40回大会の準々決勝。徳島商のエース、板東英二投手は、魚津(富山)の村椿輝雄投手といつ終わるとも知れない投手戦を繰り広げた。0-0のまま、延長18回引き分け再試合となる。

「ぼくは板東、あっちは村椿でしょ。美しい名前やないですか。名前の響きから言っても、対照的でしたわなあ」

 朝日新聞記者として板東さんと両校のメンバーらに当時の話をじっくり聞いたことがある。

 ガバッと胸を張り、真っ向から豪速球を投げ込む板東投手に対し、村椿投手はスッと左足を上げ、腕を横手気味に振って切れのいい球を投げる。「剛」の板東に対し、「柔」の村椿。好対照な2人による投げ合いだった。

「板東さんはね、馬車馬のような印象でした」と柔らかな笑みとともに振り返ったのは村椿さんだ。「ほとんどストレートだけど、手が出ない。しかも、コントロールがよかったです」。社会人野球の三菱重工横浜でもプレーし、会社員としてニューヨーク勤務も経験した人だ。

 2人は甲子園球場のスコアボードに「0」を刻み続けた。板東投手は被安打6、18イニングなので参考記録ながら史上最多の1試合25奪三振をマークした。対する村椿投手は被安打7、奪三振9。

【次ページ】 「ぼくはカーブが投げられんのです」

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