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甲子園の風BACK NUMBER
「高校野球をネタにしたことは一度もありません」板東英二が熱く語った…“1大会83奪三振”の偉業も「甲子園に出たのが偉いわけやない」本音の高校野球論
posted2026/08/16 06:01
2008年8月2日、徳島商のユニフォームで甲子園の開会式に登場。板東英二さんにとって「高校野球」は特別だった
text by

安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph by
KYODO
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徳島商時代の後輩たちに「ようできた優等生」「あの人は大人やった」と尊敬されていた板東英二さん。そんな板東さんが心を許したのが、三塁手の玉置秀雄さんだった。
「監督が厳しくて、選手がどんどんやめてしもうたんです」。板東さんが当時を語る際の鉄板ネタとして登場した人だ。
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「そやから三塁を守っとった玉置なんて、もともとマネジャーやった。中学ではピンポン(卓球)やっとった男です。私が三振とらんと、勝てんチームやったんです」
確かに中学時代は野球部と卓球部を掛け持ちしていたそうだが、魚津(富山)戦でも6度の守備機会を無失策でこなすなど、本当は守備の堅い選手だった。
「試合中にベンチで寝とった」1大会83奪三振の真実
その玉置さんは、すべてに優秀な板東さんに対しても遠慮しなかった。奪三振の多さも「あいつのわがまま」と言い切る。
「2死走者なしで三振とるな。打たせて(野手に)リハーサルさせい」と叱ったこともあると懐かしんだ。
「そいで2死満塁は三振をとらず、打たせる。『全力で投げい』と言うたら、『フォアボール出したら点入るやないか』と言いよった。案外、気が弱い」
板東さんにとっても、互角に言い合える、気の置けない存在だったのだろう。甲子園出場を決めると、「1回は勝たな、かっこう悪いな」と玉置さんに打ち明けたという。
1958年8月16日、「剛腕」板東投手を擁する徳島商は準々決勝で延長18回の末に魚津と0-0で引き分け、翌17日の再試合は3-1で勝利した。板東投手は再試合も完投し、9三振を奪っている。今大会の奪三振数は計66個となり、大会最多記録を更新した。
前日の試合中に走塁でひざを痛め、試合中に痛み止めの注射を打ったそうだが、「全然へばったという気はしません」と試合後に語った通り、翌18日の準決勝でも14三振を奪って作新学院(栃木)を4-1で下した。

