- #1
- #2
甲子園の風BACK NUMBER
板東英二の告白「ぼくはカーブが投げられんのです」甲子園の伝説“延長18回再試合”はこうして生まれた…じつは「ようできた優等生」旧友たちが語る素顔
text by

安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph byスポーツ報知/AFLO
posted2026/08/16 06:00
1958年8月16日、壮絶な投手戦を繰り広げた板東英二(徳島商/左)と村椿輝雄(魚津/右)。0対0のまま延長18回を終え、引き分け再試合となった
魚津の各打者が「曲がらないカーブ」と表現したのが、この球だったのだろう。握りを深くしただけで投げ方は一緒だから、板東さんにとってはストレートの一種だったのかもしれない。
「ご子息さん、おられますか」礼儀正しい優等生だった
2年生遊撃手だった大坂雅彦さんの証言も面白い。
「板東さんが投げると、ほとんどショートに飛んでこない。私ら、試合の外におるんですよ」
ADVERTISEMENT
板東さんは「三振を15個とらんと、監督に試合後、走らされた」と語る。
27個のアウトの半分以上が三振なら、野手は楽なようで、楽でないのかもしれない。
大坂さんは板東先輩を「ようできた優等生」と表現した。
「実力があって、頭もいい。それでいて、鼻にかけるとこもなかった」
1番中堅手だった2年生の檜皮谷壱保さんは風邪で休んだ日に、主将の板東さんが見舞いに来たのを覚えている。「ご子息さん、おられますか」と玄関先で言うのを聞いて驚いたからだ。
「そんな言い方、高校生はしないでしょ? あの人は大人やったね」
同級生で右翼手の富田美弘さんは1年生のとき、板東さんと一緒に野球部長宅に下宿した。
「2歳ぐらい上やないかと思った。茶碗とかチャッチャと片付ける。わしはケツについて回っとった」
雨の日のミーティングで度胸試しに歌えと言われれば、美声を響かせる。「板東は歌もうまかった。得意は三橋美智也」と富田さんは懐かしんだ。
そんな板東さんが心を許したのが、三塁手の玉置秀雄さんだった。
<続く>
