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「いつも赤羽のトンカツ屋でした」清水邦広が思い出す、4人で通った男子バレー“地獄合宿”前の憂鬱な昼メシ「今の代表にはあの頃みたいな重苦しい感覚は…」 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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photograph byOSAKA BLUTEON

posted2026/08/12 11:00

「いつも赤羽のトンカツ屋でした」清水邦広が思い出す、4人で通った男子バレー“地獄合宿”前の憂鬱な昼メシ「今の代表にはあの頃みたいな重苦しい感覚は…」<Number Web> photograph by OSAKA BLUTEON

8月11日に40歳を迎えた清水邦広。引退試合には、多くの旧友たちが集まった

 監督が移り替わるにつれ代表の練習方法や雰囲気は変化し、2017年にフランス出身のフィリップ・ブランがコーチとして招聘されたことも大きい。同時に、選手間の関係性も変わっていった。

 以前の代表では、若手選手が雑用や洗濯係をするのが通例で、毎日全員分の洗濯物をコインランドリーに運んで夜遅くまで洗濯していた。清水は大学3年で代表入りしてから、同い年の福澤さんと共に26歳になる2012年頃までそれをやり続けた。エースの立場になっていたにも関わらず、なかなか若手が入ってこなかったからだ。

 今ではそうしたしきたりはなく、自分の洗濯物は自分で、が基本。設備が整ったNTCでの合宿が増えたせいもあるが、トンカツ屋に集っていた4人が代表の中でベテランのポジションになったあたりから、若手が伸び伸び力を発揮できる雰囲気が醸成されていった。2014年に22歳で代表デビューした柳田将洋は、こう振り返る。

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「最初は僕も、石川(祐希)とか山内(晶大)と一緒に、まとめて洗濯に行っていましたけど、徐々に各々がやるようになっていきました。押し付けられたようなことはあまり記憶にない。そもそも清水さんからそういう(押し付けるような)コミュニケーションの取り方をされたことが一度もないので。むしろ『いいよいいよ』が口癖なイメージ。『何々していいですか?』『いいよいいよ』って。それぐらい常に寛容だった記憶があります」

 そうしたコート外の変化も、日本が強豪へと駆け上がっていく一因になっていたのではないか。

 そんなふうに日本代表の変遷を辿れてしまうほどの面々が集った引退試合だったが、その中に、清水が特別な思いで声をかけた人がいた。元女子日本代表のセッター、佐藤美弥さんだ。そこに秘められた清水の思いとは――。

〈つづき→後編

#2に続く
「俺はもう一回藤井のトス打つで」清水邦広が心残りだった故・藤井直伸との約束…引退試合で実現「美弥さんのトス、深津よりも打ちやすかった(笑)」

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