格闘技PRESSBACK NUMBER
「薬物乱用で心臓が停止」「しぼんだ身体、10秒で失神」“霊長類ヒト科最強”マーク・ケアーの悲劇「突然のメール…ハリウッドで映画化?」報われた人生
text by

長尾迪Susumu Nagao
photograph bySusumu Nagao
posted2026/07/05 11:22
藤田和之に攻め込まれ、弱気な表情を見せるマーク・ケアー。“霊長類ヒト科最強”と呼ばれた強さは失われていた
その様子を見て藤田の反撃が始まる。テイクダウンで相手を倒すと、固めた拳の側面を何度も顔面に振り下ろす。ケアーは四つん這いの亀の状態で頭をガードするが、藤田は空いているわき腹にフルパワーで膝蹴りの連打。藤田は最後まで無尽蔵のスタミナで攻め続けた。文句なしの判定勝ちだった。
撮影しながら、私はショックを受けていた。ケアーの敗北がショックだったのではない。藤田の攻撃を受けているとき、ケアーが今にも泣きだしそうな、すがるような表情を見せたことが、あまりにも痛々しかったからだ。
仮にも「霊長類ヒト科最強の男」と言われた男が、試合中にこんな顔を見せるのか。彼はもう、これ以上強くなることはないだろう。リングを降りるその姿は何とも物悲しく、ひとつの時代が終わったような気がした。
ADVERTISEMENT
後日判明したことだが、このときのケアーは酒好きの彼女とよりを戻し、アルコールに溺れる生活を送っていたそうだ。グランプリで優勝することを目指してルッテンのもとでトレーニングをしていたが、途中で離脱。無差別級の頂点を決める戦いに挑むには、肉体的にも精神的にも準備ができていなかった。
しぼんだ身体、10秒で失神…日本での最後の試合
藤田との敗戦から3カ月後の2000年8月、ケアーは早くもPRIDEのリングに戻ってきた。ボリショフ・イゴリという無名の選手に一本勝ちするも、12月にマッチアップされたボブチャンチンとの再戦は判定負け。翌年の2001年7月にはPRIDEでめきめき頭角を現してきた若手のヒース・ヒーリングにTKO負け。この試合を最後に、ケアーは総合格闘技から離れた。
このまま引退するのではと思われていたが、2004年3月の『PRIDE.27』で元リングスの山本宜久を相手にカムバック。両者には歴然とした実績の違いがあり、おそらくはケアーを勝たせるために用意された試合のはずだった。
私はリングに上がったケアーをファインダー越しに見た。すぐにカメラを置き、自分の眼でもう一度見た。彼の身体はしぼみ、張りがなく、お腹の周りは弛んでいた。「霊長類ヒト科最強の男」と呼ばれた面影はなく、唯一、顔だけがあのマーク・ケアーだった。
試合は開始直後にケアーがタックルを仕掛け、山本をテイクダウンしたが、唐突にケアーが動けなくなりわずか10秒で決着。グラウンドに移行した際、自分の頭をリングに強打して、失神したのだ。長くリングサイドで撮影を続けているが、このような結末は他では目にしたことがない。
この後、ケアーが日本のリングに上がることはなかった。彼は様々な団体を渡り歩きながら試合を続けていたが、負けることの方が圧倒的に多かった。ケアーは明らかにピークを過ぎていたものの、ビッグネームゆえ客を呼ぶことができた。各団体は選手の実績を上げるため、以前のような強さのないケアーを“かませ犬”として利用したのだ。






