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「薬物乱用で心臓が停止」「しぼんだ身体、10秒で失神」“霊長類ヒト科最強”マーク・ケアーの悲劇「突然のメール…ハリウッドで映画化?」報われた人生
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長尾迪Susumu Nagao
photograph bySusumu Nagao
posted2026/07/05 11:22
藤田和之に攻め込まれ、弱気な表情を見せるマーク・ケアー。“霊長類ヒト科最強”と呼ばれた強さは失われていた
失われていた“超人的なパワー”
PRIDE初代王者を決めるための無差別級グランプリは、世界中の強者16人が参加し、東京ドームで華々しく開幕した。ケアーとエンセンによる1回戦はセミファイナルに組まれた。これは主催者の期待の表れで、好試合が期待されたが、その内容は凡戦と言えるものだった。
開始早々にケアーは素早いタックルでトップポジションを取った。そこから試合終了までの15分間、ケアーがグラウンドでパンチを打ち続けるという展開が延々と続いた。ケアーは判定で勝利したが、彼の持ち味である超人的なパワーやワイルドさは影をひそめた。
2000年5月1日の無差別級グランプリ決勝は、1月の開幕戦を勝ち抜いた8名がワンデイトーナメントで最強を決める形で行われた。優勝するためには3試合を勝ち抜かなければならない過酷な戦いである。その代償として、優勝者には当時としては破格の1000万円の賞金が贈られることになっていた。
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ケアーの2回戦の相手はプロレスラーの藤田和之だった。藤田は全日本学生レスリング選手権大会を4連覇した後、大学卒業後に新日本プロレスへ職員として就職。プロレスの試合は行わず、アトランタ五輪の日本代表を目指したが、選考から漏れたこともあり、1996年から新日本プロレス所属のプロレスラーになった。ガチンコ指向が強かった藤田は2000年1月に同社を退団し、アントニオ猪木が主宰する猪木事務所へ移籍する。「猪木イズム」の伝承者として、グランプリ1回戦ではハンス・ナイマンに袈裟固めで一本勝ち。ケアーとの対戦を実現させた。
「あのケアーがすがるような表情を…」
桜庭和志とホイス・グレイシーによる歴史的な死闘の余韻が残る東京ドームのリングで、両者は対峙した。前日の計量では身体を絞ったケアーが107kgで、藤田は109kg。体重こそ藤田が上回っているが、総合格闘技の試合経験、実績の違いは如何ともしがたく、ケアー優位の見立ては動かなかった。
ゴングが鳴るとすぐにケアーがタックルを決め、下になった藤田へ強烈なパンチで攻め込む。 “ゴツン、ゴツン”と乾いた音が何度もリングに響いた。一瞬の隙をついて藤田は立ち上がるが、「待ってました」とばかりにケアーの強烈な膝蹴りが顔面にクリーンヒットする。
グチャ、と鼻が折れたような音が聞こえた。
私はこの一撃で試合が終わったと思ったが、藤田は何事もなかったかのように立ち上がり、試合を続けた。その後もケアーはスタンドで攻め込むが、タフな藤田は全くひるむことなく立ち向かう。5分が経過すると、攻め疲れもあり、ケアーに焦りの色が見え始めた。





