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プロ野球PRESSBACK NUMBER
野茂英雄「191球16四球で完投」1994年の近鉄で起きた驚きの事件は“罰投”だったのか?「とにかくマウンドを降りるのがイヤなヤツなんです」
posted2026/06/29 11:00
野茂英雄がMLBに挑戦する前年、1994年の近鉄では何が起きていたのか?
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
Koji Asakaura
1995年、野茂英雄は海を渡りドジャースに入団。彼が切り開いた道が、のちのイチロー、松井秀喜、松坂大輔、そして大谷翔平までつながった。しかしそれはなぜ可能になったのか? 野茂が“革命”を起こす前年に近鉄で起きていたことを当時の関係者の証言で丹念に解き明かしたノンフィクション書籍『革命前夜 追憶の近鉄バファローズ1994』が発売となった。首脳陣と野茂の間の微妙な緊張関係とは……。この年起きた「191球完投事件」の顛末を、本書から紹介する。〈全2回の1回目/後編へ〉
いまや、シーズンで投げるトータルの球数までも、そのキャリアや筋力などの詳細なデータをもとに管理されるようになっている。1試合100球を超えれば交代、120球を超えてくると投げ過ぎで、故障の原因になるともささやかれ、続投させる首脳陣に批判の目が向けられる時代だ。
ましてや「191球」ともなれば、もはや2試合分だ。
191球中105球ボール、16四球で完投勝利
1994年7月1日の西武ライオンズ戦。野茂英雄は一人でその球数を投げ切り、9回完投勝利を挙げた。191球のうち、105球がボール。被安打5ながら、与四球は日本記録となる16。初回からの四球をイニングごとに追っても、3、2、1、1、1、1、3、1、3。うち押し出し四球が2度。それで3失点にとどめているのも、ある意味、野茂の凄さなのかもしれない。
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マスクをかぶっていた相棒・光山英和も、苦笑いでこう振り返る。
「そのうちの80球くらい、ワンバンですよ。サンドバッグのように打たれ続けました」
宝刀・フォークが鋭く落ち、ホームベース手前でワンバウンド。捕手は、後ろにそらさぬように、プロテクターで受け止め、自分の体の前にボールを落とさなければならない。だから、“サンドバッグ“状態。光山の苦労と“胸の痛み”も、相当なものだっただろう。
ただ、その「191球」という数字を、光山は問題視する感が全くない。

