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「私は大した選手じゃなかった」“高校まで無名”の森保一監督…そのサッカー人生で1番のナゾ「なぜ強豪・国見高に行かなかったのか?」親友が明かした真相

posted2026/06/23 11:03

 
「私は大した選手じゃなかった」“高校まで無名”の森保一監督…そのサッカー人生で1番のナゾ「なぜ強豪・国見高に行かなかったのか?」親友が明かした真相<Number Web> photograph by AFLO

1993年、日本代表での森保一。この前年に初めて日本代表入りするまで、ほぼ“無名”の存在だった

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木崎伸也

木崎伸也Shinya Kizaki

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森保一監督というと、マジメで優しそう――そんなイメージがある。だが、それだけでは世界で勝てない。3刷重版と話題の新刊『逆転監督 森保一』(著:木崎伸也)は、2年半以上の徹底取材と複数回の本人インタビューから、森保監督の“したたかな勝負師”としての顔に迫った一冊だ。そのなかから、“森保監督はなぜ地元強豪校に行かなかったのか?”のエピソードを紹介する。【全3回の3回目/第1回第2回も公開中】

<森保監督のサッカー人生の大きな謎「なぜ国見高校に進学しなかったのか?」。親友の岩本文昭は、「(森保は)じつは受験票を持っていたが、受験当日に現れなかった」と証言した。>

「国見でやる自信がなかった」説

『ぽいち 森保一自伝』(西岡明彦との共著)でも、森保視点でこのことが語られている。

「受験票までもらっていた。しかし、真面目に受験勉強していなかったため、父親が怒って国見高を受験させてくれなかったのだ。そのため、僕は長崎日大高へ特待生として進学することとなった」

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 だが、自伝にも書かれていないことだが、親子の会話には続きがあったのだ。父・洋記はまた階段をひとつ降りるように、岩本に新たな事実を伝えた。

「ふとした瞬間に『岩本、おまえには言うけど』とお父さんが切り出したんです。受験当日が近づいてきた最後にお父さんは『本当に行きたかったら、国見へ行っていいんだぞ』って言ったそうなんですよ。でも、森保は『いや、国見はやめて長崎日大へ行くよ』と答えたと。

 お父さんは国見行きを認め、背中を押そうとした。にもかかわらず、森保は長崎日大を選んだ。お父さんは『あいつはたぶん自信がなかったんじゃないのかな』と見ていました」

 国見でやる自信がなかった――。一見、もっともらしい理由に思われる。当時の国見には1学年上の高木琢也を筆頭に、のちに実業団で活躍する選手がごろごろいた。

 実際、森保自身も〈二宮清純ノンフィクション・シアター・傑作選〉では、国見を選ばなかった理由をこう説明している。

【次ページ】 「長男としての“やさしい嘘”だった」

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