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「私は大した選手じゃなかった」“高校まで無名”の森保一監督…そのサッカー人生で1番のナゾ「なぜ強豪・国見高に行かなかったのか?」親友が明かした真相
text by

木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byAFLO
posted2026/06/23 11:03
1993年、日本代表での森保一。この前年に初めて日本代表入りするまで、ほぼ“無名”の存在だった
「(小嶺先生から)誘いもなかったし、行ってもレギュラーになれないんじゃないかという不安もありました。何しろそう大した選手じゃなかったですから」
「長男としての“やさしい嘘”だった」
普通であれば、本人が語った内容が最も真実に近いはずだ。だが、岩本は長年の友人としての勘から、まったく異なる見方をしていた。森保らしい「やさしい噓」なのではないかと。
「深堀から国見は遠いので、3年間寮に入ることになります。経済的な負担がすごく大きい。僕の場合、寮費、食費、部費などで1カ月に10万円くらいかかっていたと思います。森保には1学年下の妹と3学年下の弟がいる。長男として家計に負担をかけたくないと考えて、特待生扱いの長崎日大を選んだのではないでしょうか。
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もしそれを正直に父親に言ったら、『馬鹿たれ!』って怒鳴りつけられ、引きずってでも国見へ連れて行かれる。だから本当の理由を言わなかったのでは。
森保は家族思い。本人は絶対に明かさないと思いますが、これが本当の理由だと見ています」
森保家は深堀町で一軒家を構えており、国見へ通う経済力は十分にあったと思われる。だが、長男が無責任に夢を追ったら、妹や弟の選択肢が狭まってしまうかもしれない。森保にとって、それは何よりもつらいことだろう。
本音を言ったら、両親だけでなく妹や弟にも気を遣わせてしまう。ならば自分がやさしい噓をつけばいい。そう考えたのではないだろうか。
5月28日発売の書籍『逆転監督 森保一』(著:木崎伸也)。2年半以上の徹底取材と複数回の本人インタビューから、森保監督の“したたかな勝負師”としての顔に迫った一冊

