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繰り返された浮気「あいつに捨てられました」嫌がらせの電話も…それでもなぜ“プロ野球妻”になったのか? 盛田幸妃夫人の証言「その辺はもう諦めて…」
posted2026/06/09 06:00
2001年、近鉄時代の盛田幸妃。脳腫瘍を患いながら一軍マウンドに復帰し、カムバック賞を受賞した
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
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JIJI PRESS
「あなた、あんな人とよく結婚しますね」
二人の縁は、大洋時代の盛田の先輩・高木豊の家での食事会での出会いから始まった。野球に興味のなかった倫子が盛田を意識したのは、機内でスポーツ新聞を配っていたときに「盛田幸妃 靭帯損傷」の見出しが目に飛び込んできたからだ。成田に着くや高木に電話すると「"倫子さんのせいで怪我した"とか言ってるから見舞いに行ってやれ」と言われた。訳がわからないまま見舞いに訪れたことが、二人の交際のきっかけとなった。
20代で最優秀防御率のタイトルを獲得し、金も名誉もある盛田を女性が放っておくわけがない。ゆえに倫子と付き合いながらも、それなり以上に浮き名を流していた。倫子は盛田の浮気の痕跡を幾度も目にした。
「その辺はもう諦めていましたね。フライトから帰ってくると部屋に女性の置き手紙があったり、私の化粧品が全部洗濯機の中に放り込まれていたり……」
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そのことを問い詰めると「嫌だったら出て行け」と開き直る。だが、倫子が荷物をまとめて本気で出て行こうとしたとき、盛田は必死に引き止め「もう二度としません」と頭を下げた。
遊びを遊びと割り切っていた盛田は、関係を持った女性に冷たかった。倫子が「女の人に殺されるんじゃないかな」と心配していたほどだ。案の定、結婚発表後には「あなた、あんな人とよく結婚しますね」「私はあいつに捨てられました」といった嫌がらせの電話が相次いだ。
それでも倫子を惹きつけたのは、盛田の家族への深い愛情だった。5歳でリンパ肉腫によって亡くなった弟・幸司の写真を盛田は肌身離さず持ち歩き、高校時代は背番号1に縫いつけていた。
「お父さん、お母さん、ふたりのお姉さんと、家族をすごく大事にしていました。弟さんを幼くして亡くしているのもあって家族みんなが温かくて、“ここの家族なら自分も入れそう”っていう思いはありましたね」
しかし1998年、脳腫瘍という試練が二人を襲う。その壮絶な闘病の日々は、本編でさらに詳しく描かれている。
<続く>
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この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
