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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「ホークス版のジャッキー・ロビンソン・デーに」城島健司が王貞治を称える原点…プロ入り拒否も強行指名で「学校に王さんが来るって大騒ぎに」
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKYODO
posted2026/05/23 17:01
城島健司のプロ野球人生は常に王貞治とともにあった。「王貞治レガシーデー」を前に、発案した城島が王への思いを語る
今もなお、球史に燦然と輝く「868本塁打」の世界記録を持ち、巨人の9連覇を支えた長嶋茂雄とともに「ON」と称され、昭和のプロ野球を代表するスーパースターとして活躍し続けた王が、福岡ダイエーホークスの監督に就任したのは1995年。その偉大な現役時代の実績と、万年Bクラスの弱小球団を率いるというそのギャップに、口さがない一部のプロ野球ファンの間では“都落ち”とも言われたほどだった。
その王の初仕事は、1994年のドラフト会議。駒大進学と五輪出場を目指すことを公言し、プロ入りを拒否する姿勢を打ち出していた別府大付属高(現・明豊高)の大型捕手・城島健司をダイエーが1位で強行指名したのは「球界の寝技師」と呼ばれた敏腕フロントマン・根本陸夫の決断だった。
18歳の城島が巻き込まれた喧騒
「巻き込まれた18歳、たまらんですよ」
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長い時が経った今だからこそ、笑い話の一つとして披露できるが、高校生の城島にとっては、大人の事情に自らの人生が左右されかねない、まさしく一大事。その悩める高校生を温かく迎え入れるための環境を整えるべく、根本はそれこそ万全の手を準備していた。
ドラフト指名翌日、王が指名あいさつのため、大分へ飛んできたのだ。
「ウチの学校、高校、大学、専門学校も一緒のところやから、人っていう人が、こんなにおるんか、というくらい、キャンパスに集まりました。『王さんが来る』って。すごかったですよ」
憧れ続けた王が、城島をプロの世界へ“誘い”に来てくれたのだ。
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