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「なんだこれ?ひどいマスクだな…」佐山聡が唖然とした“手書きのタイガーマスク”「もう最悪でした」本人が今明かす、伝説デビュー戦の“まさかの経緯” 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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photograph by東京スポーツ/アフロ

posted2026/05/06 11:01

「なんだこれ?ひどいマスクだな…」佐山聡が唖然とした“手書きのタイガーマスク”「もう最悪でした」本人が今明かす、伝説デビュー戦の“まさかの経緯”<Number Web> photograph by 東京スポーツ/アフロ

急遽作製された手書きのマスクでデビュー戦を闘ったタイガーマスク(1981年)

佐山 それでクルマでマーシャルアーツショップみたいなところに連れて行かれて、ブルース・リーが『死亡遊戯』で着ていたような黄色い服を着させられて「今日からおまえはブルース・リーの親戚ってことにしてくれ」って言われたんですよ(笑)。

玉袋 ブルース・リーの親戚だから、サミー・リー(笑)。

ガンツ そこからすぐに人気は爆発したんですか?

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佐山 どこに行っても満員でしたね。会場がもの凄く盛り上がっていて。ボクがステッピングしながら威嚇のバック回し蹴りを見せるだけで、観客が総立ちになるんですよ。

玉袋 すげ~な~! 海外に行って、自分の動きだけで現地の人たちを虜にするわけですもんね。

佐山 プロレスラー冥利に尽きるっていうんですかね、そんな感じでした。

四次元殺法は「食っていくため」に生まれた

玉袋 その頃のファイトマネーっていうのは新日本から出ていたんですか?

佐山 いや、新日本はまったく関係ないです。

玉袋 じゃあ、自分で試合をやって稼いだお金がすべてですか。

佐山 メキシコのときからそうですよ。だからいい試合をやって、プロモーターに気に入られて、上のほうで試合が組まれるようにならないと食っていけないんですよ。それで自分なりに考えて、空中殺法とかメキシコでウケるような技を考えてやっていました。

ガンツ のちのタイガーマスクの四次元殺法は、メキシコで食っていくために、必要に迫られて生まれたってことですね!

玉袋 凄い話だな、それ。

佐山 ただ、ボクは新日本プロレスのストロングスタイルの教えを受けているので、あくまで実戦でも決まるような飛び技を心がけていました。真剣勝負でも決まるようなプランチャをやる、と。たとえば相手が技を待っているようなことをしたら、お遊戯になっちゃいますから。もし、そんなことをやったら猪木さんや山本小鉄さんに怒られるっていうのが頭にあったので、それはタイガーマスクになってからも一緒ですね。

【次ページ】 「断れば、猪木の顔を潰すことになるからな」

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