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富士山で急逝した“世界的クライマー”…なぜ倉上慶大は「心臓病でも手術を受けなかった」のか? 死の直前に計画していた「北極圏への冒険」秘話
text by

寺倉力Chikara Terakura
photograph byMIki Fukano
posted2026/06/22 11:00
2024年6月に急逝した日本人クライマーの倉上慶大。死の直前に考えていたという登攀計画とは?
ミラーウォールのような岩壁では、クラック(割れ目)に差し込んで使うカムなどの回収可能なアンカーを確実に設置できる箇所は非常に限られる。そのため、最低限の安全対策として、岩壁に埋め込む「ボルト」の使用自体はクライミング界の常識としても許容されうる状況だった。
それでもなおできる限りボルトには頼らない。それはショーンが自らに課したルールであり、長年にわたって貫いてきた彼のクライミング倫理だった。また、信頼するパートナーのニコラが氷河のアプローチ中に足を負傷しており、その結果、先頭でルートを切り拓く役割の大半をショーン一人が担うことになり、核心部に向けて力を温存できなかったことも、敗退の一因となった。
ベストは尽くした。それでも登れなかった。素直に失敗を受け入れ、ここは「次への課題」として残すべき。そう考えたショーンは撤退を決めた。
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ショーンは翌年に戻ってくるつもりでいた。だが、ほかのメンバーの考えは少し違っていた。
「あまりに危険すぎるし、時間もお金も、そして労力も、行為に見合わない。そういうことなんでしょう」とショーンは言う。
「ミラーウォールというのは、クライマーの内面までも映しだしてしまう。そんな冒険心の鏡なんだと思います」
ここはヨセミテでもパタゴニアでもなく、北極圏に位置する氷の大地グリーンランドである。流氷が浮かぶ荒れ狂う海にヨットを走らせ、フィヨルド最奥部に上陸し、さらに正解の見えないあみだくじのように複雑な氷河を遡る。そうして10日以上を費やしてたどり着いた岩壁で、肉体と精神の限界まで追い込まれるリスキーなクライミングが待ち受けているのだ。
同じクライミングであっても、オリンピックのスポーツクライミング競技は、純然たるスポーツの領域だ。安全性は最大限に確保され、審判と大勢の観客に見守られながら、選手はベストなパフォーマンスを発揮する。
それに対して、高所や極地など遠隔地でのクライミングをスポーツの枠に収めるには無理がある。自らに課したルールに則って自律的に行動し、万が一、なにかが起きても迅速なレスキューは望めず、最寄りの医療機関まで何日もかかる。人里離れた山岳エリアで展開されるクライミングは、冒険そのものである。
必要だった「新たなメンバー探し」
ちなみにヨットを使うこともショーン独自のアイデアだったという。車両でアプローチできる道が存在しないため、過去にミラーウォールに挑んだ2隊はいずれも最寄りの空港からヘリコプターで往復した。だがショーンは、自然の力で航行するヨットのほうが、冒険としてよりフェアで、より美しいスタイルだと考えていた。
新たなメンバー探しを余儀なくされたショーンの脳裏に真っ先に思い浮かんだのは、ピート・ウィタカーだった。トラッドクライミングの本場・イギリスで生まれ育ち、恐怖を飼い慣らすことのできる強靱なクライマーである。
さらに、3人目として誰を誘うかと悩むなかで、頭に浮かんだのが倉上慶大だった。
<次回へつづく>


