- #1
- #2
Number ExBACK NUMBER
富士山で急逝した“世界的クライマー”…なぜ倉上慶大は「心臓病でも手術を受けなかった」のか? 死の直前に計画していた「北極圏への冒険」秘話
text by

寺倉力Chikara Terakura
photograph byMIki Fukano
posted2026/06/22 11:00
2024年6月に急逝した日本人クライマーの倉上慶大。死の直前に考えていたという登攀計画とは?
「なかなか一筋縄ではいかない、と実感する毎日です。このあたりの話もとても興味深いので、いずれまたお話しできたら」
そのメッセージが、倉上とやりとりをした最後になった。
突然の逝去以来、倉上の選択は頭のどこかに張りついたまま、いまだに消化することができないでいる。富士山での悲劇の後、クライマーを取材すると必ず倉上の話題になったが、彼の下した壮絶な選択について触れることはなかった。おそらく「答え」が出ない悩みであることを、互いに察していたからだろう。
ADVERTISEMENT
そして2025年11月、グリーンランド遠征に倉上を誘った張本人が来日すると知った。話を聞かなければならないと思った。
ベルギー人クライマーが「倉上を誘った」ワケは?
ショーン・ヴィラヌエバ・オドリスコールは、1981年生まれのベルギー人クライマーだ。これまで、フィッツロイ山群の単独トラバースなど世界的にも注目される数々の登攀を積み重ねてきた彼は、40代中盤を迎えた今、経験に裏打ちされた確かな自信を身にまとっていた。生前の倉上と同じくパタゴニアのアンバサダーを務める。
ベルギーはクライミング強国ではないが、その歴史は古い。およそ100年前に創立された世界最古のアルパインクラブのひとつはベルギーにあり、当時の国王アルベールⅠ世は熱心な登山家としても知られていた。彼は居城の庭に(おそらく世界最古の)クライミングウォールを造り、日常的にトレーニングに励んだ。そして最期は、ベルギー国内の岩場でフリーソロに挑み、墜落死を遂げたという。
そんな歴史と精神を受け継ぐベルギーのクライミングコミュニティは、少数ながらも時代を牽引する強力なクライマーを輩出してきた。その筆頭に挙げられるのが、ショーン、そして若い頃から彼のクライミングパートナーであるニコラ・ファブレスである。
ショーンのグリーンランド「ミラーウォール」への挑戦は、倉上を誘った2024年が2度目だった。高低差にして約1000m。美しい三角錐状の大岩壁は、磨き上げられたような花崗岩の一枚岩で構成されており、手がかり足がかりは極めて乏しい。その名のとおり「鏡のような壁」だった。
最初のトライは2023年夏。そのときは、核心部となる凹角で敗退している。岩壁にドリルで孔を開けてボルトを連打すれば、クリア可能だった。だが、それをしてしまえば世界中のどんな岩壁も容易に登れてしまい、クライミングに挑む意味が失われてしまうとショーンは考える。彼にとってクライミングとは、あくまで冒険であり、困難への挑戦なのだ。

