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大谷翔平が先輩選手に「飲み会には行きません」日本ハム栗山監督が徹底した「大谷ルール」…外出完全許可制でルーキー大谷を守った
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中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2026/04/12 11:04
2013年、日本ハム1年目の大谷翔平(当時18歳)
打者として打率3割超えをマークする二刀流ルーキーの一軍での投手デビューは、5月23日のヤクルト戦だ。札幌ドームは平日ナイターにもかかわらず、大谷の先発登板予告後はチケット売り上げが通常の3倍以上のペースで伸びたという。
初回は打者3人にオール直球勝負を挑み、全10球すべてが150キロ超えと3万6608人の大観衆を沸かせ、4回には四番ウラディミール・バレンティンに投げた球がこの日最速の157キロを計測。セットポシジョン時のクイックモーションに課題を残したが、5回6安打2失点とまずまずのデビュー戦となった。待望のプロ初勝利は中8日空けた6月1日の中日戦だ。5回4安打3失点で札幌ドームのお立ち台に呼ばれると、ウイニングボール片手に栗山監督と力強く握手を交わした。
6月18日の広島戦では、「五番・投手」のリアル二刀流で、マツダスタジアムの先発マウンドへ。先発投手のスタメン五番打者は1963年の梶本隆夫(阪急)以来、50年ぶりだった。2回には二塁打を放つも、その裏にプロ初被弾。4回3失点で降板したあとは、右翼の守備に就き、チームの勝利に貢献した。試合後、栗山監督は大谷に「これを一生忘れるな。オレも忘れない」と声をかけた。
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初本塁打は、19歳の誕生日を迎えた5日後、7月10日の楽天戦だ。4回一死三塁の場面で永井怜が投じた138キロの内角直球をとらえ、Kスタ宮城の右翼席中段へ推定125メートル弾を突き刺す。開幕から34試合、92打席目の一発に仙台のファンからも温かい拍手が送られた。
翌日、試合前の外野ランニング中、フリー打撃の打球が大谷の右頰に直撃するアクシデント。右頰骨不全骨折と診断されるも、3日間の静養後、7月14日にチーム合流すると、さっそくロッテ戦で初の代打アーチとなる2号2ランを放ち、札幌ドームのファンを安心させた。この頃のまだあどけなさの残る大谷は、底知れぬ可能性と若者特有の危うさが同居した、みんなの弟のようなキャラクターだった。
外出完全許可制の「大谷ルール」
オールスター戦では外野手部門のファン投票3位で選出され、全パを率いる栗山監督のもとで、第1戦では3番手投手として2安打を浴びながら、プロ最速タイの157キロをマーク。高卒ルーキーでは1967年の江夏豊(阪神)以来となる46年ぶりの無失点デビューを飾る。第2戦では、史上初の高卒ルーキー一番打者として起用されると初回に右中間への二塁打。第3戦では途中出場で8回に同点打となる中前適時打を放ち、「開催する全試合を通じて、基本に忠実でどの選手よりも印象に残る確かなプレーで、日本中のファンに夢や希望を与えた選手1名」に与えられるスカイアクティブテクノロジー賞を受賞した。
瞬く間に日本プロ野球界の希望の星となった二刀流だが、栗山監督はそんな金の卵を守ろうと外出完全許可制の「大谷ルール」を徹底させた。


