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プロ野球で2億円を稼ぐ→引退後3年で“貯金が消えた”「食事会があればご馳走してしまう」34歳で“新人”会社員…中日コーチも務めた男"その後の人生"

posted2026/03/30 17:04

 
プロ野球で2億円を稼ぐ→引退後3年で“貯金が消えた”「食事会があればご馳走してしまう」34歳で“新人”会社員…中日コーチも務めた男”その後の人生”<Number Web> photograph by Tamon Matsuzono

かつて中日の本拠地があったナゴヤ球場。前原博之もここでプレーしていた(写真は2011年撮影)

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Tamon Matsuzono

中日で活躍した元プロ野球選手、前原博之。華々しい現役時代から引退後の迷い、奮闘する現在まで、インタビューに応じた記事の短縮版をお届けします。

◆◆◆

「西武時代と同じように、毎月50万円以上使っていました。食事会があればご馳走してしまうし、値段を気にせずに買い物をしてしまった。減っている時は何も考えない。口座の金がゼロになって、初めて現実に引き戻されました」

 プロ15年で2億円を稼いだ前原博之は、引退からわずか3年で無一文になった。

34歳で“新人会社員”に…世界は変わっていた

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 2000年、西武から戦力外通告を受けた前原は、社会人野球の昭和コンクリートで1年プレーした後に引退。関連会社の昭和商事に入社したが、34歳での門出は想像を絶するものだった。

「急に、全く違う世界に放り投げられた。34歳ですから、会社の同僚は中堅を扱う目で見る。でも、新卒の社員と同じで、何もわからない」

 県立岐阜商業でプログラマーを志した少年だったが、プロ野球を経て16年ぶりに開いたパソコンの画面は別世界だった。「高校の時は(プログラミング言語は)COBOLを使っていたんです。でも、時代は変わっていた。会社から『ワードとエクセルを使えるようにしてください』と言われたけど、何のことだかわからない」。

 仕事でも失敗を重ねた。営業を任された前原は設計事務所を訪問した際、窓口の担当者を飛ばしていきなり所長の元へ向かった。上司には「ちゃんと順番を守らないといかんぞ」と注意された。「何段階も飛ばしてしまうと、他の人の顔が立たなくなる。僕には一般常識がなかった」。

 それでも前原は過去の栄光にしがみつかず、素直に反省した。ワードとエクセルをマスターし、懸命に今を生きた。その姿に9歳年下の女性社員が心を惹かれ、2005年に再婚。子宝にも恵まれ、会社から野球教室の副業を許されたこともあり、年収900万円ほどに上昇した。

 転機は2011年、高校の先輩・高木守道の電話だった。会社を辞め、独立リーグのコーチを経て収入の途絶えていた前原に「ドラゴンズにお願いしようか」と声をかけてきたのだ。数日後、岐阜市内のパチンコ店でバイブが震えた。外に出て電話に出ると、球団代表からの「二軍の内野守備走塁コーチをやりませんか」との誘いだった。

「驚きました。まさかコーチの依頼が来るとは……。道具係かなと思っていたので。綱渡りの人生ですが、困っていると救世主が現れるんです」

 コーチの年俸は1500万円。しかし現役引退後に大金を失った前原は、同じ過ちを繰り返さなかった。「朝起きたら『よし、今日も5万稼ぐぞ』と言って、現場に向かいました」。給料の大半を貯金に回し、契約金1000万円は丸ごと住宅ローンに充てた。

 中日コーチ退任後は球団職員としてドラゴンズジュニアの監督を務め、後のWBC日本代表・高橋宏斗をスカウトするなど、野球界での存在感を示し続けた。だが給与削減の波が前原を直撃して……。48歳で再び岐路が訪れる。

 彼がそこで選んだ次の道とは――続きは本編で語られている。

〈つづく〉

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 この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。

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