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「古田(敦也)さんから色々と」ヤクルトで実働9年引退→WBC…志田宗大が“侍ジャパン敏腕スコアラー”になるまで「僕らの時は移籍が決まらない限り」 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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photograph bySankei Shimbun

posted2026/03/05 11:02

「古田(敦也)さんから色々と」ヤクルトで実働9年引退→WBC…志田宗大が“侍ジャパン敏腕スコアラー”になるまで「僕らの時は移籍が決まらない限り」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

2010年、ヤクルト所属時の志田宗大。現役引退後はスコアラー、アナリストとして活躍している

「僕はあまり打席に立つ機会は多くなかったのですが、工藤公康さんとの対戦がすごく記憶に残っています。2004年8月17日、東京ドームの巨人戦です。工藤さんはこの試合で200勝がかかっていたのですが、この試合、僕は1番センターで出場して1対1の同点の7回に工藤さんから勝ち越しのソロホームランを打ったんです。

 結局、その試合は7回裏にペタジーニ選手の同点ソロホームランが出て、さらに工藤さんご自身がプロ初の勝ち越し2ランを打って200勝を達成しました。左投手対右打者ということもありますが、なぜか僕は工藤さんとは相性が良くて、その試合でも3安打していて、僕にとってはこの試合が、選手生活のハイライトですね」

トライアウトもなかった時代なので

――2002年から2010年まで、実働9シーズンの現役生活でした。

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「僕らの時は、どこかに移籍が決まらない限り、選手生活はこれでおしまい、という認識でした」

 志田宗大氏の能力が花開いたのは、選手生活以上にその後のキャリアだったかもしれない。敏腕スコアラーとしての実績を積み重ねていくのだ。〈つづく〉

#2に続く
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