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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「古田(敦也)さんから色々と」ヤクルトで実働9年引退→WBC…志田宗大が“侍ジャパン敏腕スコアラー”になるまで「僕らの時は移籍が決まらない限り」
text by

広尾晃Kou Hiroo
photograph bySankei Shimbun
posted2026/03/05 11:02
2010年、ヤクルト所属時の志田宗大。現役引退後はスコアラー、アナリストとして活躍している
「大学野球デビューは僕のほうが早かったですね。彼は大学2年生の途中から試合で投げるようになりました。実は石川とは高校の時、練習試合で対戦しているんです。秋田商業にすごい投手がいると聞いて、当日見てみたら投げているボールは本当にキレのある球で、今のトラッキング測定器で測ったら、回転数が多くて、すごく面白い球だったろうと思います」
古田さんから色々なことを教わりました
――2001年、ドラフト8巡目でヤクルトに入団。1年目から40試合に出場します。
「ヤクルトは前年、リーグ優勝、日本一になっていました。外野手は稲葉篤紀さん、アレックス・ラミレスさん、真中満さんとそろっていたのですが、この年は外野でけが人が続出して、僕にも出場機会が回ってきたという感じです」
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――当時の監督は若松勉さんですが、古田敦也さんが捕手で、打撃でも守備でも活躍していましたね?
「当時、古田さんから、色々なことを教わりました。当時のヤクルトは、帰りのバスの中やホテルでも、いろんなところで野球議論が盛んに行われていた環境だったんです。僕はのちに、スコアラーやアナリストのような仕事に就くことになりましたが、当時はそんなことは思っていませんでした。でも今にして思えば、すごく勉強になったなと感じています」
――外野手としては足と肩は高く評価されていたんですね?
「ヤクルトの中では、という感じでしょうか。どっちも“そこそこ”という感じだったと思います。チームでは主にラミレス選手の守備固めで起用されるケースが多かったですね。大学まではリードオフマンタイプでレギュラーで活躍できたのですが、プロに入れば役割が全然変わります。プロでは守備固めが大部分でしたが、たまにもらう打席で結果を出せれば、スタメンのチャンスがあると思って必死で打席に立っていました。ただ、年間通して一軍と二軍の出場が半々くらい、そういう評価でしたね。ある時期からそういうポジションというか、役割でやるしかないと割り切り、役割を全うしようと思っていました。
すごく印象的だったのは、2学年下で、早稲田大学から青木宣親選手が入団したことです。キャンプで初めて彼のバッティングを見て、青木選手が来たことで自分は多分ヤクルトではレギュラー取れないなと思いました。事実、彼はMLBでも活躍するなど、すごい打者になりました。本当に衝撃的でした」
工藤さんの200勝がかかった試合で…
――現役時代に印象に残る対戦は?

